弥生時代日本の歴史

古代史最大の謎!「卑弥呼」にまつわる数々のミステリーを歴史好きがご紹介

卑弥呼の謎3・卑弥呼の正体はだれだったのか?

日本の史料である「古事記」や「日本書紀」には卑弥呼の名前はありません。そこで、卑弥呼は「古事記」「日本書紀」のだれにあたるのかというのは古くから論争になっていました。まずは「天照大神(アマテラスオオミカミ)」という説。古代国家の最大の女王なので、天皇家の始祖として信仰されているアマテラスのモデルになったのではないかということです。また、箸墓古墳に葬られたとされる倭迹迹日百襲姫命のモデルが卑弥呼なのではないかという説もあります。ただ、倭迹迹日百襲姫命は「女王」であったとは考えづらいというのがこの説の難点です。

朝鮮半島に遠征したという神話がある「神功皇后」こそ卑弥呼なのではないかとも言われます。ただ、これらはいずれも神話上の人物であって、卑弥呼よりもずっと後の時代に作られたものであるというのが歴史学の定説です。そもそも、卑弥呼が大和朝廷の始祖であるという証拠も一切ありません(子どもがいない以上、天皇家の先祖でもないわけです)。そのため、卑弥呼の正体は近畿か九州のどこかにいた女王だったとしか、現状では言いようがないのですね。全く夢がない話ではありますが……。

初めて国際社会でデビューした女王・卑弥呼

image by PIXTA / 12595963

明らかなのは、卑弥呼が魏という大国と外交を結んだ国際的な視野を持った女王だということです。国をまとめるために海外に目を向けたことで、「卑弥呼」という人物は歴史に名を残すことになりました。日本というと「閉鎖的な島国」というイメージがありますが、1800年も前から東アジアの中でさまざまな国と交流する中で国家として形作られていったのですね。

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