空母艦隊の健在
真珠湾攻撃にて日本は4隻の戦艦を沈没させることに成功しましたが、実はこの時アメリカ海軍の空母を撃沈させることはできませんでした。まだこの時は戦艦が重視されていたためこの時は日本軍は気にもかけていませんでしたが、時代はでっかい艦船をつくる大艦巨砲主義から航空機で船を撃沈させる航空機の時代に突入しかけていました。そしてこの空母が撃沈させれなかったことがのちのミッドウェー海戦の日本の大敗北に繋がっていくのです。
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真珠湾攻撃のその後
日本軍の真珠湾への攻撃はいろんな国に衝撃を与え、日本の大戦果で終わりましたが、山本五十六長官が思っていた戦意喪失の目的は達成されるどころか一番やってはいけない状況に陥ってしまうことになりました。
最後は真珠湾攻撃が世界にどのような意義を与えたのかを見ていきましょう。
アメリカの戦意高揚
真珠湾攻撃は日本のミスもありだまし討ちという形で受け止められるようになりました。ルーズベルト大統領自身は元々からドイツに対する戦争を行おうとしたのですが、国内ではあまり戦争を支持する人はいないという状態だったのです。しかしアメリカ国民はこの真珠湾攻撃を『屈辱の日』として受け止められてしまい、これまでは支援はしていたもののかなり消極的であったアメリカの世論は一気に主戦派に早変わり。「リメンバーパールハーバー」という合言葉を元にこれまでとはうって変わって戦争に協力する人が増えていくようになりました。
まさしく眠れる獅子と呼べるアメリカを叩き起こしたことはイギリスのチャーチル首相は絶望的であった戦争の状態だったところに現れた一筋の光であったことに違いはなく、のちの回想録で「これで戦争に勝てる!」と喜んだ後ぐっすりと寝れたんだとか。
しかし、日本からしたら山本五十六長官の考えであったアメリカの戦意喪失どころか虎の尾を踏むというとんでもない事態を招いてしまったのでした。
太平洋戦争の開始
日本は真珠湾攻撃を攻撃したのと同時に南方作戦を開始。マレー半島やシンガポール、香港やインドネシアなどを占領してどんどんと戦域を広げていきます。これはアメリカの準備がまだ整えられていなかったこともありますが日本国内はこの華々しい戦果として湧き上がりました。しかし、アメリカの工業力は日本の予想をはるかに凌ぐものでありなんと真珠湾攻撃で沈んだはずの戦艦をパワーアップさせて復活。さらには日本を完膚なきまでに叩き潰す計画も練られていきました。
こうして時代は4年にも渡る太平洋戦争に突入していったのです。
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運命の分かれ目となった真珠湾攻撃
真珠湾攻撃によって日本は日中戦争だけではなく、アメリカとイギリスとの戦争状態に突入。4年に渡る太平洋戦争によって国土は一気に荒廃するようになりました。
真珠湾攻撃は日本の歴史を大きく変えたとても重要な出来事だったのです。