日本の歴史昭和

太平洋戦争の天王山「ミッドウェー海戦」背景・経緯・その後をわかりやすくまとめた

ハワイ諸島から北西方向に延びる北西ハワイ諸島。その西端付近にミッドウェー島があります。真珠湾攻撃の成功により、アメリカ太平洋艦隊に打撃を与えた日本軍は太平洋の各地を席巻、ハワイ周辺に迫りつつありました。1942年6月、戦力的に優勢な日本軍はミッドウェー島攻略作戦を発動します。しかし、この作戦は暗号解読に成功したアメリカ軍に筒抜けでした。今回は、太平洋戦争の天王山となったミッドウェー海戦の背景、経緯、その後についてまとめます。

連合艦隊は、なぜ、日本から遠く離れたミッドウェー島を攻略しようとしたか

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真珠湾攻撃の成功により、太平洋からアメリカ艦隊を排除した日本軍は太平洋から東南アジアにかけての広大な地域を占領しました。しかし、真珠湾攻撃を生き延びたアメリカ機動部隊は珊瑚海海戦などで善戦。早期講和に持ち込むためには、機動部隊を含むアメリカ海軍の潰滅が必要でした。

開戦以降、拡大する占領地

1941年12月、真珠湾の奇襲攻撃に成功したのとほぼ同じころ、マレー沖海戦でイギリス東洋艦隊を壊滅。これにより、太平洋で日本軍とまともに戦える海軍を持った国はなくなりました。

翌年1月、日本軍はアメリカの東南アジアでの拠点であったフィリピンを占領。2月には東南アジアでのイギリスの重要拠点シンガポールを占領します。その後、オランダ領東インド(現在のインドネシア)も支配下に置き、石油資源を確保しました。

占領地が拡大すれば、維持する兵力も膨大になり、物資の補給も必要になります。広がりすぎた戦線は補給活動を困難にし、いつ破綻してもおかしくありません。日本としては、戦争を長期化させず、いかに短期間で講和に持ち込むかが重要でした。アメリカの戦意を喪失させ、講和に持ち込むためにはアメリカ艦隊を再起不能になるまで叩かなければならなかったのです。

ドーリットル空襲と山本五十六の構想

真珠湾攻撃でアメリカ機動部隊を逃してしまった日本海軍は、アメリカ機動部隊による日本本土空襲を警戒していました。連合艦隊司令長官の山本五十六はハワイ及びハワイ周辺の島々を占領し、アメリカ軍機動部隊を壊滅させようと考えます。

しかし、陸海軍の幕僚たちはハワイ攻略は困難であるとし、なかなか、山本の案に賛同しません。事態が急変したのは1942年4月のドーリットル空襲があってからです。

ドーリットル空襲とは、アメリカ機動部隊の空母ホーネットから飛び立ったドーリットル中佐率いるB-25爆撃機部隊が東京などにおこなった空襲のこと。被害は軽微だったものの、国民に与えた心理的影響は大きなものでした。

山本長官は第二のドーリットル空襲を防ぐには、ハワイ周辺に侵攻するしかないとしてミッドウェー作戦を立案。陸海軍の同意を取り付けました。

ミッドウェー島をめぐる日米両軍の駆け引きとミッドウェー海戦の経過

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連合艦隊はハワイ北西の要衝であるミッドウェー島の攻略を計画します。ハワイにつらなる北西ハワイ諸島の一角を占領し、ハワイにプレッシャーをかけるのが目的でした。一方、アメリカ軍は暗号解読の結果、日本海軍がミッドウェー島攻略を目指していることを事前に察知、防備を固めます。ミッドウェー島をめぐって日米両軍の駆け引きが展開されました。

連合艦隊の次の目標

ミッドウェー海戦のころ、連合艦隊には3つの選択肢がありました。一つ目はミッドウェー島を攻略し、いつでもハワイを攻撃できる体制を整えること。

二つ目はアメリカとオーストラリアの連携を阻むため、フィジー島を攻略する案。フィジー攻略作戦の目的はアメリカとオーストラリアの連携を遮断することです。

三つ目は北東のアリューシャン列島を攻略する案。アリューシャン列島から長距離爆撃機が飛来し、日本本土を空襲することを防ぐことが目的でした。

結局、連合艦隊はフィジー攻略を棚上げし、ミッドウェー島攻略をメインにアリューシャン列島に陽動作戦をしかける作戦を立案します。ミッドウェー攻略作戦は、南雲機動部隊を先頭に、戦艦大和など主力艦隊を投入する大規模なものとなりました。

連戦、疲弊する南雲機動部隊

南雲機動部隊とは、南雲忠一を司令長官とする空母艦隊です。艦隊の主力は第一航空戦隊の赤城加賀、第二航空戦隊の飛龍蒼龍の空母4隻。真珠湾攻撃のために編成された世界初の空母機動艦隊でした。

真珠湾攻撃の成功後、ラバウル攻撃、セイロン沖海戦などで連勝します。東南アジアおよびインド洋から敵艦隊を駆逐した南雲機動部隊は日本本土に帰還しました。

この時、大規模な人事異動で艦隊の編成を変更します。これにより、艦隊や航空隊の練度が低下しました。疲労が蓄積し、改変により練度が低下した状態の南雲機動部隊にミッドウェー攻略作戦が指令されます。事前に徹底的に訓練し、作戦実行に備えていた真珠湾攻撃に比べると、準備不足の感は否めませんでした。

アメリカ軍に筒抜けだったミッドウェー攻略作戦

真珠湾攻撃以後、劣勢に立たされていたアメリカ軍は艦隊の再建を急ぐとともに、日本軍の作戦目標について情報を集めます。アメリカ軍の諜報部は1942年4月ごろには、日本軍の大規模作戦が実施されるという情報をつかんでいましたが、正確な位置まで把握できていませんでした。諜報部が暗号解読を進めた結果、日本軍の次の作戦目標がミッドウェーであることが判明します。

アメリカ太平洋艦隊司令官のニミッツはミッドウェー島の防備を強化。ミッドウェー守備隊は高射砲や対空機関砲、機雷などで守りを固めて日本軍の襲来を待ち構えます。また、機動部隊をハワイから出撃させ日本軍のせん滅をはかりました。

ニミッツは日本軍との空母の戦力差を埋めるため、珊瑚海海戦で大破したヨークタウンを強引に戦線復帰させ戦力差を縮小させることに成功します。こうして、アメリカ軍は万全の構えで日本軍を迎えうとうとしていました。

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