金剛峯寺にまつわる逸話
清盛の財力で金剛峰寺の大塔を再建した時のこと。事業を成し遂げた清盛の元へ、ある見知らぬ老人がやってきました。すると老人は「荒れ果ててしまった厳島のお社も再建したらどうかな?」と告げます。
すると清盛はハッと気付きました。この老人こそが即身成仏となった弘法大師(空海)であることに。
清盛が声を掛けようとした瞬間、老人はスッと消えてしまったそうで、すぐさま血曼荼羅を金剛峰寺へ奉納したという言い伝えが残っていますね。もちろん清盛はすぐさま厳島神社を再建したそうです。
5-2.東寺【立体曼荼羅】
真言宗の総本山ともいわれる東寺(教王護国寺)。ここには空海がレイアウトしたと伝わる立体曼荼羅が現存しています。曼荼羅図といわれる絵画よりも現実的で、まるで密教の世界へ誘う不思議な空間は、まるで現実ではないような感覚に襲われますね。
この立体曼荼羅は「羯磨曼荼羅(かつまんだら)」ともいわれ、大日如来像を中心として21尊もの菩薩像や如来像たちを安置し、密教の世界観をリアルに具現化しています。
実際に東寺で拝観できるだけでなく、特別展として各地で開催されることもありますし、国立博物館クラスの施設では定期的に展示されることもあるようです。
5-3.當麻寺【曼荼羅堂】
「大和のモナリザ」といわれた薄幸のヒロイン中将姫が、たった一晩で織り上げたという曼荼羅図が所蔵されています。現在拝観できるのは、室町時代に作られた「文亀曼荼羅」と呼ばれるもの。国の重要文化財に指定されていますね。
中将姫が作ったとされる曼荼羅は、本来の密教ゆかりのものではなく、極楽往生の姿を描いた浄土曼荼羅です。幸薄い身の上を憂い、死後の極楽往生をひたすら念じ続けていたのではないでしょうか。
中将姫伝説とは?
747年に藤原豊成の娘として奈良に生まれた中将姫。観音さまに祈願して授かった子で、中将姫自身も観音さまを篤く信仰されていました。
しかし5才の時に母を亡くし、豊成が後妻を迎えるようになると、その継母に妬まれるようになりました。次第に命さえ狙われるようになったそうです。
周囲の助けで命を長らえながらも、あえて継母を恨むことなく、14才の時に雲雀山へ逃れ、読経三昧の隠棲生活を送るようになりました。
やがて當麻寺へたどり着いた姫は尼僧となり、お告げのままに蓮の茎から糸を取り出して人に織らせてみると、見事な曼荼羅図が出来上がりました。お告げをくれたのは阿弥陀さま、そして織ったのは観音さまだったのです。
5-4.奈良国立博物館【山王宮曼荼羅】
室町時代の文安年間に製作された曼荼羅図です。その最大の特徴は、大日如来も阿弥陀如来も、その他の菩薩なども一切登場せず、単に山と建物だけが描かれていることですね。
「山」は延暦寺のある比叡山を指し、麓の「建物群」は延暦寺の鎮守社である日吉大社を表しています。日本古来の神々は、実は如来が姿を変えたものだという「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」を基にしており、一見して風景画に見えながらも、実は曼荼羅の要素をもって構成されているのですね。
延暦寺を中心として、それを鎮護するのが日吉大社21社となり、それはあたかも「大日如来を取り囲む菩薩や如来たち」の関係性とよく似ています。異質であるはずの寺と神社が、深く繋がっている神仏習合の形態を表した曼荼羅図だといえるでしょう。
不思議な曼荼羅アートを体感してみよう
現在最も多くの曼荼羅を作っているのはネパールだといわれていますが、その作風を見ると、日本のものとは似ても似つかないものに気付くでしょう。海外でも最近はポップアート的な作品も増えているらしく、様々な種類や構図のものを見ることができますね。糸を掛け合わせて作る「糸掛け曼荼羅」という幾何学アートなども、日本では静かなブームになっているそうで、もしかしたら面白くて楽しい曼荼羅アートに触れる機会があるかも知れませんね。
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