第2回大陸会議で『独立宣言』を採択
1776年、フォラデルフィアで第2回大陸会議が開かれます。大陸会議はアメリカ連合軍の設立を決定。ワシントンを総司令官に任命しました。ワシントンがイギリス軍と戦っている間に、ジェファソンは『独立宣言』を起草、フランクリンやアダムズの修正を経て1776年7月4日に大陸会議で『独立宣言』が採択されます。
宣言では、イギリス国王ジョージ3世の悪政を列挙し、植民地は王への忠誠を拒否。また、宣言で自由・平等・幸福追求などの基本的人権を認められます。
もし、政府が人民の権利を認めず、自由・平等・幸福追求の権利が損なわれたときには、人民は新たな政府を樹立する権利を持つという内容が宣言に盛り込まれました。この権利は抵抗権・革命権とよばれ、ロックの影響を受けたとされます。『独立宣言』の採択により植民地側の結束は強まりました。
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戦局の転換とフランスの参戦
『コモン=センス』や『独立宣言』で士気が上がった独立軍でしたが、兵数や装備の劣勢は変わりませんでした。1776年8月のロングアイランドの戦いでは独立軍はイギリス軍に大敗します。イギリス軍は独立派の本拠地となっていたフィラデルフィアを占領。大陸会議は別の街に避難せざるを得なくなりました。
1777年10月、ワシントンはカナダから南下してきたイギリス軍をニューヨーク北方のサラトガで迎撃し、打ち破ることに成功します。サラトガでの勝利は独立派がイギリス軍に勝利しうることを示し、ヨーロッパで外交交渉にあたっていたフランクリンを後押ししました。
1778年、フランクリンの交渉が実りフランスが植民地側として参戦します。その後、イギリスと対立していたスペインやオランダも植民地側で参戦しました。
武装中立同盟の圧力とヨークタウンの戦いでの勝利
1780年、イギリスによるアメリカの海上封鎖に反発した国々はロシア皇帝エカチェリーナ2世が提唱する武装中立同盟に参加します。ロシア・スウェーデン・ポルトガル・デンマーク・プロイセンが参加しました。
これにより、イギリスの国際的孤立が決定的なものとなります。不利になってきた戦局を打開するため、イギリスのコーンウォリス将軍はヨークタウンに進撃しました。
しかし、フランス艦隊による攻撃で味方のイギリス海軍が撃破されると、一転して孤立してしまいます。袋のねずみとなったコーンウォリス率いるイギリス軍はアメリカ軍に降伏。このヨークタウンの戦いでの敗北でイギリスは敗色濃厚となります。
1783年、イギリスとアメリカ独立軍や参戦国との間でパリ講和条約が結ばれました。これにより、アメリカは独立を認められミシシッピ川まで領土が拡大します。
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アメリカ独立戦争が世界に与えた影響とは
独立戦争に勝利したアメリカはアメリカ合衆国憲法を採択し、近代初の共和制国家を樹立します。アメリカの独立は大西洋をはさんだヨーロッパとアメリカ大陸の両方に大きな影響を与えました。独立戦争に参加したフランスのラファイエットらは、1789年のフランス革命でも活躍します。その一方、かつての宗主国だったイギリスとは険悪な状態が続きました。
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独立後のアメリカ
1787年、フィラデルフィアで開かれた憲法制定会議でアメリカ合衆国憲法が採択されました。憲法は前文と7条からなりたちます。アメリカ合衆国憲法の要点は次の三つです。
まず初め、政治を行う権利は人民にあるとする人民主権。次に、各州の大幅な自治権を認めつつも国防や外交を統括する強力な連邦政府をもつ連邦主義。最後は、権力を一か所に集中させない三権分立です。
アメリカでは三権分立にもとづき、行政は国民が直接選出する大統領が持ち、合衆国全体に効力を持つ法律の制定は連邦議会が行い、裁判を行う司法権は最高裁判所が持つ仕組みを整えました。
外交面では独立後もイギリスとの対立関係が続きます。ヨーロッパで起きたナポレオン戦争のときは、アメリカとフランスの貿易をイギリスが邪魔したことから米英戦争に発展しました。
アメリカの独立は大西洋革命の引き金となった
アメリカ独立は、ヨーロッパ・中南米地域など大西洋沿岸の広い範囲に影響を及ぼしました。アメリカ独立に端を発した18世紀後半から19世紀前半に大西洋沿岸諸国で起きた一連の革命をまとめて、大西洋革命といいます。
アメリカ独立戦争に義勇軍をひきいて参戦したフランスのラファイエットは、独立戦争で培われた革命の精神をフランスに持ち帰り、フランス革命を指導。ワシントンの副官として活躍したコシューシコはポーランドに帰国後、民族運動の指導者としてロシアやプロイセンと戦いました。
アメリカ独立の影響を受けたフランス革命が、今度は中南米に影響を与えます。ハイチではトゥサン=ルーヴェルチュールがハイチ革命を成し遂げ、南米ではシモン=ボリバルがベネズエラやコロンビア・エクアドルをスペインから解放し、大コロンビアを形成しました。こうして、アメリカ独立の精神は大西洋諸国に広まっていったのです。