室町時代戦国時代日本の歴史

日本を変えた「関ヶ原の戦い」戦国時代から平和な時代に変えた戦いをわかりやすく解説

家康の征夷大将軍就任による徳川幕府の成立

家康は幕府を江戸に置いて、大名たちの仕置きをおこないます。これはそれまでの武士による社会支配構造としては同じです。源平の戦いや明治維新の戊辰戦争などは、貴族社会を終わらせ、武家社会を終わらせています。それに対して、関ヶ原の戦いは、同じ武家社会が継続しているのです。しかも、徳川家康は、農本主義と言って農業を国の基礎としており、信長が商業を重視していたこととも違い、従来の社会を基礎に置いていました。

しかし、武士の世の中ではあっても、戦争のない平和な社会に変わったことが、関ヶ原の戦いの後に変わった一番大きかった点です。

戦いのない時代が250年続く

江戸幕府になって、3代将軍の家光まで間に、江戸幕府の体制が作られ、250年近く戦争のない社会が続いたのです。

それは、

・農民が農業に集中する仕組み(士農工商制度)を作ったこと

・武家の守るべき規範(武家諸法度)を作ったこと

・参勤交代などで各大名が富を蓄積して戦える体制を作らせないこと

などに現れています。

しかし、武家が武力を使わない体制を作ったことにより、武士層は形骸化し、戦える集団としての支配層では無くなってしまったのです。その結果、江戸時代中期以降には、商人、町民が台頭し、町人文化を花開かせます。明治維新において、倒幕勢力を支えた背景には豪商などの存在があり、町民の意識の変化が大きかったのです。それは、ある意味、織田信長が目指そうとしていた社会だったかも知れません。

戦乱の日本社会から戦いをなくした関ヶ原の戦い

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関ヶ原の戦いは、社会構造そのものは変わらなかったものの、それまで続いていた戦乱の時代に終止符を打ち、人々が安心して暮らせる社会になったことは大きな変化だったと言えるのです。日本はこの平和な時代に、西洋文化とは別の独自の社会発展を遂げたことによって、清のように欧米列強の支配を受けずに済んだと言えます。

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