ドイツナチスドイツヨーロッパの歴史

ヒトラーが率いた「ナチスドイツ」とは?どのようにして独裁を成し遂げたのかわかりやすく解説

ヒトラーのドイツ労働者党への加盟

1919年に入ると特にドイツ南部では独立運動が激しくなっており、軍による鎮圧や監視が度々行われるようになります。そんな中、ミュンヘンを占領した軍の司令を受けて少数政党がドイツ政府に逆らわないような内容の主張をしているかをチェックする伍長がいたのでした。そう、その人こそのちにナチス党を率いるアドルフ・ヒトラーだったのです。

ヒトラーはミュンヘンの酒場にいたドイツ労働者党の監視をする役目を担っていたのですが、ひょんなことからドイツ南部の独立を目指す人との口論に発展してしまい、これに才能を感じた当時のドイツ労働者党の党首ドレクスラーはヒトラーをスカウト。ヒトラーは最初は迷ったそうですが最後にはこの党に入る決心をして軍を辞任。

こうしてドイツ労働者党にとんでもない人物がやってきたのでした。

ヒトラーの台頭とミュンヘン一揆

こうしてヒトラーはドイツ労働者党に入党したのですが、ヒトラーお得意の演説がものすごく評判となり一躍このドイツ労働者党は人気の政党となっていきます。ちなみに、ナチス党に変更したのは実はこの時。さらにハーケンクロイツをつかうようになったのもこの時期なんですよ。

その後、ドイツ社会党との統合でドレクスラーと対立して最終的にはナチス党の党首にまでになりました。

ヒトラーはこのナチス党の党首になってから自らのことをFührerと呼ぶようになり、さらにナチス党の親衛隊も結成します。

この結果暴力とヒトラーの演説でどんどん話題となっていったナチス党はミュンヘンがあるバイエルン州の中でも有力な政党に成長。

1923年にフランスがドイツの賠償金未払いを理由にルール工業地帯を抑えると怒ったドイツ国民は極右化していきます。

ヒトラーはミュンヘン州から一揆を起こしてベルリンに向かいそこで新しい政府を打ち立てるまるでムッソリーニ のローマ進軍と同じことをしようと計画したそうてますが、残念ながらこれはうまくいくことはなく計画は失敗。

ヒトラーは逮捕されるようなり、ナチス党は非合法化されたのでした。

これでナチス党は終焉を迎える…ということは無かったのです。

ナチス党の拡大

ミュンヘン一揆に失敗したヒトラーは逮捕されて裁判にかけられるようになりますが、この裁判にてヒトラーは決死の演説を披露。これが裁判官を始め裁判を傍聴していた人の心を鷲掴みにしてしまい、ヒトラーの人気は逆に高まっていくようになります。結果的にはヒトラーは有罪となったのですが、なんとその刑が禁錮9ヶ月。さらには外の外出が可能というとんでもない待遇だったのです。

こんなんで国民が納得するはずもないと思いますが、逆にヒトラーはボロボロのドイツを立て直してくれる救世主だと思う人が続出。

1924年にヒトラーが釈放されると1925年にはナチス党の結成が再び許可されて復活。このミュンヘン一揆以降その知名度は全国区となりついにヒトラーは合法的な政権奪取に乗り出すことになるのです。

ナチス党内閣の成立

ナチス党はこれ以降全国区での勢力の拡大のために合法的な選挙にも出馬。しかし、いまいちパッとした戦果を挙げることができません。しかし、1928年に世界恐慌が起こると再び極右化が進んでいきナチス党への期待がどんどん上昇。

1930年の選挙では107議席を獲得して第二党にまでになりました。1932年の大統領選挙ではヒトラーは大統領になるために出馬。しかし、これはヒンデンブルク大統領に負けてしまいました。

でも、この時の選挙ではついにナチス党が230議席を獲得してついに与党にまで押し上がり、さらにヒトラーは首相にも任命。1933年にヒトラー内閣が発足してついに権力を握ったのです。

ヒトラーはその後国会議事堂が炎上したことを利用して共産党員を全員逮捕。さらには全権委任法を成立させてついにはナチス党以外の政党を全て禁止に追い込みます。こうしてヒトラー率いるナチス党はドイツを支配する独裁政党にまでに成り上がったのでした。

ナチスドイツの二つの遺産

こうしてナチス党による独裁が確立されましたが、ナチス党が行ったことが全て悪いことでありません。ヒトラーは動物が好きでしたので例えば動物愛護の法案を成立させたり、森を増やしたりするなど環境を整えるのにかなりの力を入れました。

そんなヒトラーの功績でもあり、ヒトラーの遺産でもあるのがフォルクスワーゲンとアウトバーンでした。

今でもフォルクスワーゲンはドイツを代表する車の会社なんですが、元々この会社はヒトラーが国民車構想といって全てのドイツ国民が車を持つような生活を送れるようにするというプランの元に作られた国営会社だったのです。

今だからこそ会社は非ナチ化してドイツの産業を支えている立場に落ち着いているのですが、昔はヒトラーのための会社だと考えると驚きですね。

また、自動車会社を作ったら次に必要なのは道路ですね。元々ヒトラーが政権を奪取する前から高速道路を作るという計画はあったみたいなんですが、ヒトラーはこの高速道路の建設計画に目をつけてこれを使って雇用問題を解決できると考え始めます。

この考えは大当たり。公共事業によって国内の失業率はみるみるうちに減少。第一次世界大戦の混乱の時期には考えられられないぐらい生活が安定するようになったのでした。

こうなると例えヒトラーの思想に懐疑的だった人でも文句が言えないようになり、ヒトラーの支持率はなんと92%を超えていたそうです。

ヒトラーはこの国民の高い支持率を受けてユダヤ人を絶滅させる計画を打ち立てていくことになります。

第二次世界大戦におけるドイツ

ヒトラーが政権を握ったその後、ヒトラーはドイツの領土を東にどんどん広げていき最終的にはウラル山脈までゲルマン人が居住するまで拡大するいわゆる東方生存圏の構築のために動き出します。まずヒトラーは1936年に軍隊の設置が禁じられていたラインラントに進駐。その翌年にはヒトラーの生まれ故郷であるオーストリアを併合。1938年にはミュンヘン条約によってチェコスロバキアの国土のうちドイツ人が多かったズデーテン地方を割譲させてもらいその翌年にはチェコ全土を占領するまでになります。

そして1939年9月にはポーランドに侵攻したことによって第二次世界大戦が勃発。20年前はミュンヘンの一弱小政党が再び世界大戦を引き起こした瞬間でした。

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