その他の国の歴史中東

国や民族がたくさん出てきて難解な「古代オリエント」5分でわかる古代オリエントの流れ

紀元前1567年頃~:エジプト新王国時代

ヒクソスが衰退すると、エジプト新王国時代が始まります。

拠点は同じくテーベです。ハトシェプスト女王やトトメス3世が統治した時代として有名。また、黄金のマスクで知られるツタンカーメンや、古代エジプト最大の王と称されるラムセス2世もこの時代のファラオです。

この時代のエジプトでは、交易や領地拡大など、海外へ目を向けることが多くなりました。

ラムセス2世は中東へ進軍してヒッタイトと戦い(カデシュの戦い)、勝利をおさめています。

この時代のエジプトは異国の文化なども入ってきて大いに栄え発展しましたが、第21王朝以降は下降線をたどることに。紀元前332年、アケメネス朝ペルシアやアッシリアなどメソポタミア地方の強大国に征服され、古代エジプト時代は終わりを迎えるのです。

古代オリエントの流れ(3)地中海東海岸の動き

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肥沃な土地が開けていて交通の要衝にもなっていたため、多くの民族が行き来し、様々な国家が誕生した古代オリエント。ヒッタイトと古代エジプトの争いは12世紀頃まで続いたようですが、ヒッタイトは滅亡、エジプトも次第に力を失って、地中海東側付近は一瞬、空白地帯となります。そこに移ってきた民族たちが、次の時代の古代オリエントの主人公です。

紀元前1200年頃~:陸上貿易とアラム人

アラム人は古代オリエント地方の遊牧民族でしたが、この時期にユーフラテス川流域に都市国家を作って定住します。

彼らは貿易を生業としており、ラクダに荷物を背負わせ、砂漠を横断して商売を行っていました。ところどころに交易の中継点となる町を設け、陸上貿易を確立していきます。

彼らが使っていたアラム語・アラム文字は古代オリエント領域で広範囲に使われていました。貿易を行う上での共通語として重宝していたようです。アラム文字はアラビア文字やヘブライ文字のもとになったとも言われています。

交易で成功をおさめ栄えたアラム人たちでしたが、紀元前8世紀頃、アッシリアによって征服。その繁栄も終焉を迎えます。

紀元前1200年頃~:海上貿易とフェニキア人

交易を生業としていた民族がもうひとつ。海上貿易を確立したフェニキア人です。

彼らもアラム人と同様、貿易の中継点となる都市を海岸付近にたくさん作り、交易網を広げていきます。地中海沿岸、中東から北アフリカ側からバルカン半島に至るまで船で移動し、かなり広範囲に活動していたようです。

彼らも文字文化を持っていました。エジプトの象形文字を簡略化したとされる「フェニキア文字」を開発。フェニキア文字はアルファベットの原型であるともいわれています。

広い交易網を持っていたフェニキア人たちの手によって、古代オリエントには様々な文化や学問がもたらされていきました。

海をまたにかけ栄華を誇っていたフェニキア人ですが、紀元前8世紀にアッシリア帝国が勢力を伸ばしてくると、フェニキア人が築いた交易都市もアッシリアの支配下に入ることになり、衰退していきます。

紀元前1200年頃~:ユダヤ教とヘブライ人

ヘブライ人も、もともと古代オリエント地域の遊牧民でした。

「モーゼの十戒」で知られるモーゼも、ヘブライ人です。

ヘブライ人はこの時期、やはり地中海東岸に定住し、その後、一部がエジプトへと向かいます。しかしエジプトではよい生活をすることができず、地中海東へ戻ってくることに。そこで建国したのがヘブライ王国です。

ヘブライとは外部の民族による呼び方で、自分たちは自らを「イスラエル人」と呼んでいたといいます。そのため「古代イスラエル王国」と呼ばれることもあるようです。

第3代国王ソロモン王の頃が最盛期でしたが、その後徐々に王の力が弱まり、内部分裂勃発。その後、アッシリアに屈する形となり、王国は衰退していきます。

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