イタリアヨーロッパの歴史

メディチ家とは?ルネサンスを支えたフィレンツェ名門一族の歴史と足跡

栄光はここから「ジョヴァンニ・ディ・ビッチ」(1360年~1429年)

銀行家としてのメディチ家の礎を築いたのが、このジョヴァンニ・ディ・ビッチであると言われています。

ジョヴァンニ・ディ・ビッチ以前から、メディチ家は金融業のような商売をローマで行っていました。ジョヴァンニは本店をフィレンツェに移し、ローマやヴェネツィアなどイタリアの都市に次々と支店を展開していきます。

時代の波に乗ってメディチ銀行は大盛況。ジョヴァンニ率いるメディチ家はさらなる高みを目指します。

メディチ銀行の最大の顧客といえばローマ教皇庁でした。当時のローマ=カトリック教会は後継者争いなどが激化していくつかの勢力が対立状態にあり、メディチ家は一方の勢力に巨額の政治資金を融資するなど、カトリック界で徐々に発言力を高めていきます。

ジョヴァンニは1410年にローマ教皇庁会計院の財務管理者になり、この立場を利用して莫大な利益を得ることに成功。彼は富を得るだけでなく権力と名声を求め、銀行家としてのメディチ家の地位をゆるぎないものにしました。

祖国の父と称された「コジモ・イル・ヴェッキオ」(1389年~1464年)

父ジョヴァンニのあとに銀行業を受け継ぎ、さらに発展させたのがコジモ・イル・ヴェッキオです。「イル・ヴェッキオ」は「老人」という意味だそうで、「コジモ・デ・メディチ」という名前で記されることもあります。

コジモはメディチ銀行の支店を増やし、各地に勢力を伸ばしていきました。富と権力を持ち過ぎたせいもあって敵も多く、幾度となく陰謀に巻き込まれ命を落としそうになります。しかしさすがは百戦錬磨のメディチ家当主。一度はフィレンツェの外へ追われる形になり、何とか難を逃れます。

慌てず政局を見つめていれば、いずれ勝機は訪れるものです。1年もしないうちにメディチ家の敵対勢力が失墜し、コジモは再びフィレンツェに戻ります。今度は命を狙われないよう、極力表舞台に立たず、もっぱら裏で糸を引く形でメディチ家の勢力を伸ばし続けていったようです。

また、コジモはフィレンツェの街中に教会を建て、数々の芸術家たちに出資するなど、有り余る財力をフィレンツェの街の発展に寄与したことでも知られています。ルネサンス芸術の功労者といってもよいかもしれません。

全盛期を謳歌「ロレンツォ・イル・マニーフィコ」(1449年~1492年)

「イル・マニフィコ(偉大な)」と呼ばれるほどの地位と名声を得たメディチ家最盛期の当主といえば「ロレンツォ・デ・メディチ」をおいて他にないでしょう。強大な富と権力と影響力を持ち、「豪華王」とも称される大人物です。

祖父コジモが築いた強大なメディチ一族の中で、幼いころから英才教育を受け、若干20歳でメディチ家当主となります。メディチ家の当主=フィレンツェの最高権力者と言っても決して言い過ぎではないでしょう。

ロレンツォもまた、ライバルたちから幾度となく命を狙われ、危険な目にあっています。しかしロレンツォはそのたびにうまく立ち回り、力でねじ伏せるだけでなく、時には敵対勢力とうまく均衡を保つことに尽力したのだそうです。この剛と柔の絶妙なバランスが、ロレンツォの最大の武器であったとも言われています。

この頃、イタリア・ルネサンスは最盛期を迎えていました。ロレンツォは有能な芸術家たちに積極的に出資し、ルネサンス最大のパトロンとも称されています。

ルネサンスを盛り上げたローマ教皇「レオ10世」(1475年~1521年)

元の名は「ジョヴァンニ・デ・メディチ」といいますが、メディチ銀行の祖であるジョヴァンニと区別するためにこのような呼び方をすることが多いようです。メディチ家最盛期の当主ロレンツォの次男にあたります。

兄(長男)は「ピエロ・ディ・ロレンツォ」といい、父ロレンツォの死後、メディチ家の当主になりますが、彼はあまり優秀とは言えませんでした。ピエロの時代にメディチ家はフィレンツェを追い出され、銀行も破綻してしまいます。

そんなピエロはフィレンツェに戻ることなく旅先で溺死。兄の後継として当主となったのが次男のジョヴァンニ、後のレオ10世でした。彼は当時のローマ教皇ユリウス2世やドイツ系の名門貴族ハプスブルク家など数々の有力者たちを味方につけ、フィレンツェに返り咲きます。さらに、ユリウス2世の後にローマ教皇となり、メディチ家はフィレンツェだけでなくローマ教皇領でも絶大な権力を持つようになるのです。

レオ10世は大変な浪費家だったと伝わっています。ミケランジェロやラファエロなど多くの芸術家たちのパトロンとなり、教会や礼拝堂の建造・修復も慣行。政治より文化・芸術面にお金をつかっていました。1517年にサン・ピエトロ大聖堂の建設資金をねん出するため贖宥状(免罪符)なるものの販売を認め、これが後の宗教改革を引き起こす引き金になったとも言われています。

街全体が美術館!フィレンツェに今も残るメディチ家ゆかりのスポット

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一介の商人から大富豪へとのし上がり巨万の富を築いたメディチ家。その拠点となったフィレンツェは「天井のない美術館」とも呼ばれ、ルネサンス芸術の発展に大いに貢献した一族にまつわる建造物が、街のそこかしこに今も残されています。見どころ満載のフィレンツェを訪れたらぜひ、メディチ家の痕跡をたどってみてください。今回は数ある建造物の中から、特におすすめのスポットを厳選してご紹介します。

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