イギリスフランスヨーロッパの歴史

【中世】イングランド・フランス両王家の因縁の戦い「百年戦争」をわかりやすく解説

イングランドで王位をめぐる内乱が勃発し、ランカスター朝が成立

ワット=タイラーの乱がおきた時、イングランド王だったのがプランタジネット朝のリチャード2世でした。ワット=タイラーの乱を鎮圧後、リチャード2世は専制的になり議会や貴族たちと対立します。

百年戦争の戦局が徐々にフランスに傾く中、議会軽視の姿勢が目立つようになったリチャード2世と議会に勢力を持つ貴族たちの争いは内乱に発展。リチャード2世は貴族の一人であるランカスター家のヘンリによって国外追放されました。

ヘンリはイングランド王ヘンリ4世として即位し、ランカスター朝が始まります。ヘンリ4世の子であるヘンリ5世はフランス王シャルル6世の子でもあったのでフランス王としても即位。フランスのヴァロワ朝への攻勢を強めました。

フランスに現れた聖女ジャンヌ=ダルクの活躍

百年戦争の終盤、フランスのヴァロワ家は国王シャルル6世の病気のため混乱状態にありました。フランス貴族はブルゴーニュ派とオルレアン派に分かれて争い、ブルゴーニュ派はイングランドと手を組みました。

オルレアン派はシャルル6世の子である王太子シャルルを擁立し、オルレアンの街に立てこもります。風前の灯火となった王太子シャルルを救ったのが聖女ジャンヌ=ダルクでした。

ロレーヌ地方のドンレミ村に生まれたジャンヌは、王太子を救えという神の啓示を受けオルレアンに赴き、オルレアンを包囲していたイングランド軍を撃退します。ジャンヌの登場で勢いづいたフランス軍は各地で反撃し、イングランド軍を追い詰めました。

ジャンヌ自身は1430年にイングランド軍につかまり、魔女として処刑されてしまいますが、百年戦争の流れは決定的にフランスに傾きます。フランス軍は1436年にパリに入城、1453年にはボルドーを占領。イングランド軍はカレー以外のフランス領から撤退を余儀なくされ、百年戦争は終結しました。

百年戦争がイングランドとフランス両国にもたらした影響とは

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中世後期に行われた百年戦争は、イングランドとフランスに大きな変化をもたらしました。両国とも諸侯や騎士といった地方を支配する封建諸侯の力が衰退し、国王の地位が高まります。戦いに敗れたイングランドではバラ戦争が勃発し、イングランドの王家がテューダー朝に交代しました。百年戦争後のイングランドとフランスの様子をまとめます。

貴族や騎士(封建諸侯)が弱体化し、王権が強化された

百年戦争は、イングランドとフランスの貴族や騎士たちの力を大きく削ぎました。貴族や騎士たちは戦いが起きるたびに出兵を強いられ、経済的に疲弊していきます。

それに追い打ちをかけたのがペスト大流行でした。ペストで農民が減り、収入が減少していくと貴族や騎士たちはペストを生き延びた農民たちに重い税をかけます。これに反発した農民たちはワット=タイラーの乱やジャックリーの乱を起こして貴族や騎士たちに抵抗しました。

その一方、百年戦争で強まったのが国王の権力です。戦争中、国王は軍を率いるリーダーとして強い発言権を持ちました。中世初期には弱かった国王権力は百年戦争の中で強まります。

フランスはイングランド勢力をほぼ追い出し、ヴァロワ朝の王権が確立した

百年戦争直前、ヴァロワ朝の初代国王として即位したシャルル6世時代のフランス王権はとても弱いものでした。そのため、イングランド王エドワード3世の介入を受けて百年戦争を引き起こしてしまいます。

百年戦争に勝利し、イングランド勢力をフランスから駆逐したヴァロワ朝のシャルル7世(ジャンヌ=ダルクの活躍でフランス王として即位できた王太子シャルルのこと)は大商人のジャック=クールを登用し財政基盤を強化。この財力を背景にシャルル7世は国王軍を編成して王権の強化に努めました。

国力を強めたヴァロワ朝は16世紀のフランソワ1世の時代には神聖ローマ帝国と覇権を争うほどの強い王朝へと変貌します。

イングランドではバラ戦争が起き、テューダー朝が成立した

百年戦争で敗れたイングランドは混迷状態に陥ります。ランカスター朝のヘンリ6世は敗戦のショックからか精神錯乱の状態となりました。これに乗じてランカスター家の王位継承に不満を持っていたヨーク家が国王打倒の兵をあげ、バラ戦争がはじまります。

ヨーク家は1460年に当主のリチャードが戦死するものの、1461年に子のエドワードがロンドンに入城し、エドワード4世として即位。王家はランカスター家からヨーク家に代わりました。ヨーク朝2代目のエドワード5世は叔父であるリチャードに幽閉され暗殺されてしまいます。

リチャードはリチャード3世として即位しましたが、反対者を残虐な方法で次々と処刑したため信望を失いました。1485年、ランカスター家に連なるテューダー家のヘンリ7世がリチャード3世と戦って勝利、テューダー朝を開きます。

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