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400年続いたロマノフ王朝を倒しソ連を生み出した「ロシア革命」をわかりやすく解説

ロシア革命後、ロシアはどうなったのか

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ロマノフ朝が滅び、レーニン率いるソビエトが権力を握ったロシア。連合国はロシアの勝手な戦線離脱を認めず、シベリアに軍を送り込みます。また、ロシア各地で反革命軍が放棄し、ソビエトの軍である赤軍が鎮圧に奔走しました。レーニンら戦時共産主義を導入して革命政権を守ろうとします。

連合国はロシア革命に干渉し、シベリア出兵などを行った

ロシア革命でロシアに社会主義政権が誕生したことは、連合国に大きな衝撃を与えました。連合国はボリシェヴィキによるソビエト政権を認めず、反革命勢力の援助やロシア領への出兵準備を始めます。

1918年3月、ブレスト=リトフスク条約が結ばれると、イギリス・フランス軍が北極海沿岸にあるムルマンスクに上陸し占領しました。つづいて、4月には日本軍が居留民の保護を口実に極東のウラジオストクを占領し、アメリカ・イギリス・フランス軍もこれに続きました。

シベリア出兵の始まりです。連合国がシベリアに出兵した口実は、取り残されたチェコスロヴァキア兵士を救出することでしたが、真の目的はソビエト政府の打倒とロシア領への進出でした。

ソビエトは赤軍を組織し戦時共産主義体制をとることで反革命運動に対抗した

ロシア革命に反対する勢力は各地で反乱を起こし、地方政権を樹立しました。反対勢力は帝政派のもと軍人や反社会主義勢力、ボリシェヴィキに排除された社会革命党など各種勢力の寄せ集めで連携を欠くものでしたが、次第に勢力を拡大します。こうした勢力のことを白軍といいました。

ソビエト政府はトロツキーが中心となって革命を守る軍隊として赤軍を組織。各地で白軍と戦います。レーニンは革命を守るため、農民の余剰物資を強制的に出させる戦時共産主義を実行し戦いに必要な物資をかき集めました。戦いは徐々に赤軍優位となり、白軍は各地で敗退。連合国も次第に兵を引き上げました。最も遅くとどまった日本軍も1922年にシベリアから撤退し、赤軍の勝利が確定します。

ロシア革命は400年続いたロマノフ王朝を滅ぼし、世界初の社会主義国家を生み出した

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かつてのロシア帝国首都であったサンクトペテルブルクには今も帝政ロシア時代の壮麗な建物が残っています。エルミタージュ美術館や血の上の救世主教会などの建物は華やかだった帝政ロシア時代の栄華をしのばせますね。しかし、こうした豪壮華麗な建築を残した強大なロマノフ王朝も、20世紀初頭のロシア革命で一気に滅んでしまいました。その後、成立した世界初の社会主義国家であるソビエトは冷戦の一方の主役として世界に大きな影響力をふるいます。

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