日本の歴史昭和

「日中戦争」の背景・経緯・その後を元塾講師がわかりやすく解説

日本の降伏と国共内戦

太平洋戦争に敗北した日本は中国から全面的に撤退。満州国も崩壊しました。抗日民族統一戦線は日本に勝利したのです。日本という共通の敵が去ったのち、中国では蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との対立が再燃しました。

蒋介石はアメリカ・イギリスの支援を受け、資本主義型の国を目指します。一方の毛沢東はソ連の支援を受け、農民層の指示のもと社会主義国家の樹立を目指していました。

国民党と共産党は、1946年6月に衝突、国共内戦が始まります。戦いは物量に勝る蒋介石軍の優位で進みました。しかし、1948年に行われたいくつかの戦いで共産党軍が逆転勝利を重ねます。その結果、共産党軍が全体の戦局でも逆転。1949年、蒋介石は台湾に脱出し内戦は終結しました。

中華人民共和国と中華民国

第二次世界大戦終結後、世界はアメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国に分かれて対立する冷戦の時代に突入しました。アメリカもソ連も自国の勢力圏拡大でしのぎを削ります。

蒋介石の敗北により中国本土を失ったアメリカは日本や台湾を反共の防壁と考え、死守する構えを見せました。中国を統一した共産党も台湾海峡渡るとアメリカとの戦争になりかねないと考えたため、台湾を含む武力統一をあきらめます。

こうして、蒋介石率いる中華民国は台湾で生き延びることができました。毛沢東率いる中華人民共和国はソ連と協調し、東側陣営に加わります。しかし、ソ連が資本主義諸国との平和共存路線を打ち出したことに反発し、中ソ対立の時代を迎えました。日中戦争が終わっても中国の動乱と不安定さは継続しました。

日中戦争は多くの中国残留日本人孤児を生んだ

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日中戦争の前後、多くの日本人が中国大陸に渡りました。戦争の敗北と戦後の混乱により多くの日本人居留者が中国に取り残されます。多くの日本人が入植した満州では親を失った子供が中国残留日本人孤児として取り残され、中国人に育てられました。戦争がひとたび生じれば、いつ自分たちが残留孤児となった人々のように、家族と離れ離れとなってもおかしくないのです。

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