ヨーロッパの歴史

西ヨーロッパを恐怖に陥れた「ヴァイキング」は何者?真相をわかりやすく解説

3-1都市的集落作りが行われていたヴァイキング時代

ヴァイキングの存在は貿易目的もあったとされています。彼らの集落は、商人や農民たちが集まり、そこに市ができ街づくりが始まったといわれていますがそれを覆す説があるんです。

ヴァイキングたちの集落は、規則的に作られていました。街路と溝で区画されており、自然に発生してできたとは考えにくいといわれています。しかも、その遺跡群には、砦が設置されているんです。砦があるということは、王の存在があったということですね。また、都市的集落の中にある貝塚からは、この時代の貨幣やフリースラントのみずさし、火葬墳丘墓が出土しています。その墓からは、大量の骨と船の鉄鋲、たくさんの鉄釘も発見されました。

ヴァイキングが、ほとんど陸に上がらず海を航行し船舶を襲う脅威的な存在でしかいなかったと思っていた方にはショッキングな話かも。だって、陸地で王が統治する都市集落を作っていたというのだから驚愕の事実ですね。

3-2ヴァイキングの戦士はプロだった

先ほどもお話しした通り、ヴァイキングには王がいました。その下には、伯やヤール(スウェーデンの王族などの称号)という指導者もいます。これは、ノルウェーの集落で多く見られ、ここまでの階級の人々は、土地はもちろん船や戦士たちを持っていたようです。これを象徴するかのように、ノルウェーでは強力な一族がいくつも出現しています。

最も低い階級には、農民もいました。彼らは小さいですが土地を持っていた分、奴隷よりはましという生活を送っていた人々です。土地は奴隷に耕させていました。農民は、土地の他に家畜や武器を身に付ける権利も持っています。ヴァイキングたちはプロの戦士でした。

1回の戦争での死亡者は3分の2だったとか。でも、生き残った戦士には、たくさんの戦利品や名誉が与えられたのです。生きて戻れば地位も上がるため、生活も安定すると若者たちもこぞってヴァイキングになっていました。英国海兵隊の若年士官のような存在だったようです。彼らは、死んでもバルハラ(北欧神話の最高神オーディンの住む館)に行けるといわれ、死を恐れることなく戦いました。

3-3ヴァイキングが支配する世の中へ

ヴァイキングの王たちは、富を得るためには手段を選ばなかったとか。彼らの評価は、勇敢だが獰猛で、何をするか分からないという存在で人々に恐怖心を与えていました。ヴァイキングは、町や宗教施設を襲い金品や奴隷をねこそぎ持ち去り焼き払ったのです、彼らは海を我が物のように航行する中で、容易に交易に適した土地を見付けることも可能でした。

特に貿易港を開くことで、通商路を広げることにも成功し、富と名声を我が物にしていました。ヴァイキングが後に滅ぼされることがなかったのは、プロの戦士を育て武装勢力を保持することで利益を守り、気がつけば占領した場所の先住民と馴染んでいたということです。スカンディナビアの王たちは、さまざまなところで支配者となりその地の拡大に尽力し、ヴァイキングが支配する世の中になりました。

4.ヴァイキングの戦い方って?

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ヴァイキングは剣が一番の武器でした。鉄は剣だけでなく、斧や槍も使われています。剣や兜などの鉄製品はフランク人によって造られており、ヴァイキングたちも輸入していました。ほとんどの剣はシンプルなものですが、地位が上がるにつれ柄のリングなどに美しい細工がされるなど、剣を見ただけで地位が分かっていたとか。船の材料にも使われている鉄はヴァイキング時代にはなくてはならないものでした。

4-1陸上でのヴァイキングの戦い方

ヴァイキング時代の初期には、金から銀の時代に代わっており、出土品の中にも銀製品が多く含まれています。剣の柄の部分にも、銀が施されているものも発見されました。また、900年ごろには、銅製の剣も作られています。切る役目しかなかった剣は、重たい剣ではなく軽く持ちやすく、突き刺して使えるものもありました。切れ味も素晴らしく、馬の頭まで切り落とすほどだったとか。

ヴァイキングといえば、角が生えた兜を連想される方もいらっしゃると思いますが、実際にはそのような兜は使われていませんでした。丸い形の帽子で、目や鼻を守るように造られています。でも、鎧も兜も残念なことに数は多く出土しておらず、集団のトップクラスの人しかつけていなかったようです。

また、トップクラスの階級は、盾で守ることができなかった、足あてが作られています。片足や両足を狙って切り落とされた遺体が多く発見されており、盾で守れなかった部分を狙って攻撃するのが主な戦い方だったようです。鎧、兜、足あて共に、数点しか見つかっていません。

馬を使った戦い方がされており、指揮官クラスのヴァイキングは馬と一緒に埋葬されています。初期のヴァイキングたちは、機動力を増すために馬を盗むことが戦いの必須条件だったようです。ヴァイキングと、陸上での戦いってマッチしませんよね。でも、国盗り合戦もしていたヴァイキングの戦い方でした。

4-2ヴァイキングの船も立派なものだった

先ほどから陸上戦のことを主に語ってしまいましたが、もちろん海上でもヴァイキングは活躍しています。当時の船とはいえ、現在でもこんなに素晴らしい船を作るのは難しいといわれるほどの傑作です。船体は軽く帆を搭載できるほど強靭に作られており、人力で櫓を漕いで進むのに動きは素早かったとか。

この船で、いきなりやってきて暴れるだけ暴れてサクッと帰って行くのが戦い方だったようです。木造なので現在まで残っているものはありませんが、いくつか出土しておりオスロのヴァイキング船博物館などで具体例が紹介されています。

ヴァイキングは北ゲルマン人の別称。本来ヴァイキングは「入り江の民」を意味する言葉ですが、彼らの行動から、海賊を意味する言葉に代わったようです。日頃は大人しい農民ですが、時期や交易などで話がこじれた時に武装して出撃したとの説もあります。とはいっても、交易も平和的なものが多く、話がこじれることは稀だったとか。
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