豆知識・雑学

日本ではいつ頃から?「コーヒー」の歴史や起源をわかりやすく解説

私たちが普段飲んでいるコーヒーは、どうやって作られているかご存知ですか?豆を煎じて、挽いて粉にして、お湯を注いで漉して抽出した黒い飲み物。嗜好品といいますが、豆も粉も決して飲みやすいものではなく、いったい誰がどんないきさつで「この粒を口に入れよう」と思ったのでしょう。人類はいつ「美味しいコーヒーの淹れ方」に気づいたのか、歴史をたどってみようと思います。

いつ・誰が・どこで?コーヒー誕生にまつわる伝説

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現代では大変身近な嗜好品となっているコーヒーですが、不思議なことにその起源にはいくつかの説があり、はっきりとしたことはわかっていません。ここでは、コーヒーの起源として伝わる説の中から有名なものを2つ、ご紹介します。

エチオピア起源説:ヤギ飼いのカルディの話

アフリカ大陸東側に位置する国・エチオピア。もともと、コーヒー豆のもとになるコーヒーノキという樹木は、エチオピアやコンゴなどアフリカ大陸中西部に広く自生している植物でした。

時は9世紀頃、ヤギ(羊やラクダという説もあり)の世話をしていた少年カルディは、放し飼いにしていたヤギたちが昼夜問わず眠らず興奮して飛び回るので困っていました。カルディは修道院を訪れ修道士に相談。よくよく観察してみると、ヤギたちは灌木の赤い木の実を食べていました。

修道士はこの実を持ち帰り、実を直接食べたり煮汁を飲んでみたりしたところ、眠気が覚めて頭がスキッとするではありませんか。

これを機に、この修道院では夜間業務のときの眠気覚ましに使われるようになったのだそうです。

この話は、レバノンのファウスト・ナイロニというキリスト教徒が1671年に記した『コーヒー論 その特質と効用』というラテン語の本の中に記されています。ただし本の中では、時代も国名もはっきりとは記しておらず、昔のオリエントのどこかの話、という感じで紹介されていたようですが、コーヒーがヨーロッパで流行するにつれ、コーヒーノキが自生するエチオピアの話になり、少年の名前もオリエンタルな名前へと、具体的な内容が盛り込まれていきました。

アラビア起源説:僧侶オマールの話

13世紀のアラビアのモカ(現在のイエメン)の僧侶シーク・オマールは、身に覚えのない罪で街を追放され、山中をさまよっていました。

あるときオマールは、一羽の鳥が灌木の赤い実をついばんでいるところを見つけます。オマールはその赤い実を採り、煮出して飲んでみました。初めての味と香り。不思議なことにそれまでの疲れがとれ、スッキリ元気になったのです。医術の心得もあったオマールは近隣を巡りながらこの実を広め、具合の悪い人を大勢救いました。

そのうちにオマールは許され、モカの街に戻ります。オマールはモカの人々にも赤い実を広め、聖人と呼ばれるようになったのだそうです。

こちらは1587年にイスラム教の学者アブダル・カディールが記した『コーヒーの合理性の擁護』に記されているお話に由来しています。ただ、13世紀にコーヒーノキがイエメンの山に自生していたかどうかについては議論の余地があり、コーヒーがヨーロッパで流行したことを受けて後から作られた創作ではないか、との見方もあるようです。

その他の「コーヒー起源説」

エチオピアの高原地方の人々は、古くからコーヒーノキの実を食用していたと考えられています。コーヒーの実そのものを煮て食べていたようです。エチオピアの一部の部族の間では、現代でもコーヒー豆を炒った料理が伝わっています。

古代ギリシャやローマ、イスラム世界でも、王や戦士がコーヒーとおぼしき飲み物を飲んでいた記録や文献がぽつぽつと残されているそうです。しかしこれらの話は後の世の創作である可能性もあり、コーヒー起源説としては根拠が薄いと考えられています。コーヒーの流通に伴い、歴史上の偉大な人物とコーヒーを結び付けた話が作られていったのかもしれません。

また、9世紀のイランの学者ラーゼス(アル・ラーズィー)が、自身の著書の中で、コーヒー豆とその煮汁らしき文章の説明を載せています。豆をそのまますりつぶしてお湯を注いだ飲み物で、これがコーヒーの原型ではないか、との見方もあるようです。

苦い!でも頭が冴える!飲み物としてのコーヒーの歴史

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コーヒーの起源については、記述が残されているわけではないので確かなことはわかりません。しかし、コーヒーノキがエチオピア周辺に自生する樹木であることを考えると、エチオピア発祥説が有力と考えてよさそうです。最初は、単に実を煮出していただけのコーヒー。どのような歴史をたどって、現在のような多くの人々に愛される飲み物になっていったのでしょうか。

煮出しから焙煎へ:僧侶たちの眠気覚ましの一杯

数あるコーヒー起源説の中でも、僧侶や修道院が登場しますが、コーヒーの広まりと寺院は密接な関係にあったようです。コーヒーは当初、嗜好品ではなく薬として扱われており、一般の人が飲む機会はほとんどありませんでした。イスラム教徒たちは夜通し行う祈りのときの眠気覚ましに、豆を煮だした煮汁を飲んでいたといわれています。

正確な経緯は不明ですが、13世紀頃から、コーヒー豆は生のままではなく炒って使われるようになりました。おそらく誰かがうっかり豆を焦がしてしまったとか、偶発的な事故が発端ではないかと考えられています。とにかく豆を焼くことによって風味が増すことがわかり、多くの人がこの独特の香りに引き寄せられるように、こぞってコーヒーを楽しむようになるのです。これと並行して、豆の焙煎用の道具や、コーヒーを飲用するための専用のカップなども作られるようになりました。

16世紀の初頭には、コーヒーはトルコ、イラン、インドへも伝わっていきます。大きな商売になると感じた各国の商人たちによって、コーヒー豆は世界へと広まっていったのです。

地中海貿易の目玉!海を越えて伝わるコーヒーの香り

コーヒーノキはアフリカ原産であり、ヨーロッパ大陸には自生していません。そのため、17世紀頃まで、ヨーロッパではコーヒーの存在はほとんど知られていませんでした。イスラム教徒が好んで飲む香りの強い黒い飲み物は、ヨーロッパ人たちにとって恐ろしい飲み物に見えたのかもしれません。

しかし、コーヒーの魅力的な味と香りは次第にヨーロッパにも広まっていきます。17世紀前半、地中海貿易が盛んになると、コーヒーはヨーロッパ各地で好んで飲まれるようになりました。

17世紀半ばになると、イギリスでは新しい社交場としてコーヒー・ハウスが営業を開始します。現代のカフェのようなもので、当時のイギリスの世相も相まって多くの紳士たちがコーヒー・ハウスで政治や経済の話に花を咲かせたそうです。

フランスでも、17世紀後半にはコーヒー・ハウスができて人々の社交場になります。ドイツ、オーストリア、イタリアにもコーヒーは伝わり、主に上流階級の人々の嗜好品として広まっていきました。17世紀末にはコーヒーはロシア、さらには遠く海を渡ってアメリカにも伝わります。ワインやビールと並ぶ人気の飲み物となったコーヒーですが、当時はまだ価格が高く、贅沢品という印象が強かったようです。

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