新しい年号の決め方は?年号を決める手順と豆知識
元号を決めるのは大変!たくさんある手続と留意事項
みなさん、天皇が代替わりした際に、元号が変わるのはご存知ですね。しかし、その歴史は浅く、明治時代からなんです。
それまでは、天皇の代替わりだけでなく、災害が起こった、病気が流行したなどの理由で元号が変わっていたのですね。そのように、「元号をコロコロ変えるのはよくない!」というわけで、「一世一元の制」という天皇一代につき元号は一つまでという制度ができました。これが、1868年の明治元年のことです。つまり、明治維新の天皇中心の国づくりを進めていく近代化の中でできた制度なんですね。それが定着し、現在まで続いているのです。
元号は「元号法」という法律に則って決める!
では、元号は好き勝手に決めていいの?という話になりますが、もちろんそのようなことはありません。実は、「元号法」という法律があり、それに則り決めているんですね。この元号法ですが、2項プラス附則2項で成っており、非常に短い法律として知られています。
「1.元号は、政令で定める。2.元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
附則1.この法律は、公布の日から施行する。2.昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」
上記の附則に「昭和の元号」という記述がありますが、この法律が作られたのは昭和の時代。それまでは、戦前の大日本帝国憲法下では、旧皇室典範という皇室に関する制度に記載されていましたが、戦後に制定された日本国憲法下の皇室典範では、法律として明文化されていなかったんですね。ですが、人々やメディアは習慣として使用していたため、昭和天皇が崩御する前に、元号法という法律ができました。
何段階もの「元号選定手続」を踏むことが必要!
「元号法はわかったけど、具体的な決め方が書いていないよね?」と思った人も多いはず。続いて、具体的にはどのように決めているのかを見ていきましょう。
具体的な元号選定手続は、元号法が制定された際に、第1次大平正芳内閣が要領を定めています。4段階ありますので、順番に見てみましょう。
1.新元号の候補は、内閣総理大臣が選んだ有識者に挙げてもらう。有識者とは、国文学や哲学、歴史学などの研究者を指す。
2.有識者たちが考案し、提出した候補名の中から、内閣官房長官が検討・整理して、内閣総理大臣に報告。
3.閣議で、提出された新元号候補名について協議。
4.衆議院と参議院の議長・副議長から意見を聴く。
5.再びの閣議で決定。
多くの人々の意見を聞き、段階を経ながら決まるわけですね。「平成」という元号が決まるときには、「平成」・「修文」・「正化」の3つに候補名が絞られました。そして、当時の官房長官である、小渕恵三官房長官が発表したのは、改元を経験したみなさんなら覚えているのではないでしょうか。
たくさんある留意事項!人名や地名は使ってはいけない
また、元号を決めるときには、いくつかの留意事項があります。それがこちら。
1.国民の理想としてふさわしい良い意味を持つものであること
2.漢字2字であること
3.書きやすいこと
4.読みやすいこと
5.これまでに元号、またはおくり名として用いられたものでないこと
6.俗用されているものでないこと
5に出てくる「おくり名」とは、亡くなった人に贈る名前のこと。6の俗用されていないものとは、世間で使われていないものという意味で、人名や地名、商品名などは使ってはいけないということですね。地名などは特に多く、知らないものも多く存在するので、非常に大変なことがわかりますよね
明日話したくなる元号の豆知識
元号の決め方がわかったところで、ここからは元号の豆知識を。長く続いた元号や、1番最初の元号など、ちょっと人に話したくなるようなものをご紹介していきます。
#1 初めての元号は「大化」
元号の始まりはいつからなのでしょうか。文献によると、時代はさかのぼり飛鳥時代の「大化(たいか)」が始まりとされています。
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変から始まる「大化の改新」に使用されている「大化」ですね。それ以前は、元号ではなく、時の天皇の名前を使用し、「○○天皇●年」と表していたのでした。
#2 長く続いた元号ランキングBEST5
大化から元号が続いていたとすると、多くの元号があることが想像できますね。続いては、長く続いた元号をランキング形式でお伝えしていきます。
5位「延喜(えんぎ)」23年
平安時代にあたり、醍醐天皇が天皇親政を行った時期ですね。「延喜の治」として、天皇が理想的な政治を行ったと評価されたのも有名です。
4位「応永(おうえい)」35年
室町時代の元号ですね。3代将軍足利義満らが活躍した時代です。
3位「平成」※1989年1月8日~2019年4月30日(予定)のため暫定とする
2位「明治」44年187日間
1位「昭和」62年14日間
昭和がダントツで1位という結果になりました。
ちなみに最も短かったとされるのは、74日の「暦仁(りゃくにん)」。鎌倉時代で、執権北条泰時が活躍した時期ですね。天災のため改元したとされていますが、「暦仁」とは「略人」を指し、世の中から人々が死んでしまうことという噂が出たためだともされているんですよ。