日本の歴史昭和

「バブル時代」とは?なぜ起きた?原因や当時の生活などをわかりやすく解説

今でもたまにニュースの映像で見ることがあるバブル時代。この時の日本は超ノリノリでいろんな企業が世界の企業を買収していました。どうして日本がこうなったのでしょうか?今回はそんなバブル時代についてバブル景気が起こった理由と合わせてみていきましょう。

バブル時代が訪れたわけ

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バブル時代のエピソードを紹介する前にまずはどうしてバブル時代が訪れるようになったのかを見てみましょう。ちなみに、バブル景気というのは日本の経済成長とは見合っておらず、さらにその反動があまりに大きかったことがあって好景気のダメなパターンの一つとして見られています。

原因その1.土地の地価の急上昇

1980年代アメリカでは1975年にようやく終わったベトナム戦争の後遺症や、貿易摩擦によって景気が悪化していました。その中でも特に日本製品なんかはアメリカの製品のシェアを乗っ取っているぐらいにまで急成長しておりアメリカの製品を脅かす事態にまで発展します。

そこでアメリカ政府はなんとか貿易摩擦を解消するために日本がアメリカで製品を売りづらくするため、ドルの価値をわざと下げて円の価値を高めようと日本政府や外国と交渉を行いました。これを当時交渉していたホテルの名からプラザ合意といいます。これによって円安によって支えられてきた日本の輸出貿易は大打撃を受けてしまい、日本は円高不況に悩まされることになっていきました。

こうして輸出しづらくなってしまった企業たちはあることを考え始め、「海外で売りづらくなったのなら国内でじゃんじゃん売っていこう!」としてどんどん輸出する分の投資の代わりにじゃんじゃん国内に投資していき、日本の土地の値段が上がるようになっていきます。

さらに日本銀行が公定歩合という銀行に対する金利を下げることによって企業がお金を借りやすくする状況を作り出していき、さらにはこの当時は土地神話といって土地の値段は絶対に下がらないという今考えたらとんでも無いことが信じられていた事もあってバブル時代最盛期には東京全体の土地の値段でアメリカ全土3つ分が買えるとも言われるぐらいまで土地の値段が上がりました。

原因その2.株価の急上昇

バブル景気のもう一つの原因が株です。

1980年代日本では小さな政府といって沢山の国営企業が民営化していくことになっていきます。ちなみにこの時民営化した国営企業のうち特に有名なのが日本タバコ専売公社(現JT)、日本国有鉄道(現JR)、そして今回の主役である日本電電公社(現NTT)です。日本電電公社がNTTとして民営化した時、「民営化したんだからそろそろいろんな人から資金を集めよう!」と思いついたNTTは1987年に株式公開(株をみんなが買える状態にすること)を行います。

しかし、これが思わぬ事態を起こしてしまうのです。そもそも株主公開をしたばかりの普通の企業ならもしかしたら公開してからすぐに業績が悪化して倒産するケースがあるかもしれません。そのため一気に買うことはせずにいるため株価がそんな急に上がることはありません。しかし、かつての元国営企業であり、さらにこの時の通信最大手であるNTTの株となると話が変わってきます。投資家たちはNTTが倒産するなんてそんな天地がひっくり返るぐらいありえないだろうし、さらに天下のNTTの株だから絶対に株価が上がり続けると国民全員が感じていたのです。そのためNTTの株は初値が119万円だったのにもかかわらず、株は飛ぶように売れてしまい株価は急上昇。翌年の1987年には約3倍の318万円という上がり具合を見せて莫大な利益を受けた人たちが続出します。つまり株を買った人は何もせずに一株あたり200万の利益を得たことになったのです。

これによって日本は株ブームが起き、日本各地の企業の株が急上昇していくことになるのでした

仰天!バブルの時の日本の企業

日本でバブル時代に突入していった中、世界ではまだ不況でした。そこで日本の企業は第二次世界大戦の恨みをここで晴らすかのようにどんどんアメリカの企業を買収していくことになるのです。

例えば映画を見たとき最初の配給の企業にたまにSONYって出るときありますよね?実はこれがバブル時代の名残なんですよ。実はこのバブル時代の時にSONYは映画会社であったコロムビアを買収SONYの傘下にしています。さらに三菱地所はアメリカの象徴のビルの一つであったロックフェラー・センターを2200億で買収。さすがにこの時はアメリカから猛バッシングを受けてしまいました。さらにバブル時代の魔の手は企業だけではなく美術品にまで及びます。例えばゴッホの『ひまわり』は安田火災海上によって約57億円で落札。今考えたらほんとに恐ろしい話ですよ。

仰天!バブル時代の暮らし

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バブル時代になると企業だけではなく、個人までもがお金を持つようになりました。次はバブル時代にはどんな暮らしを送っていったのかを見てみましょう。

 

仰天エピソードその1 就職はとても簡単

バブル時代の時には就活市場は過去最大級の買い手市場でした。つまりは面接に行っただけで即採用というわけでした。就職氷河期真っ只中で就活していた人から見たら腹が立つことだと思いますが、この頃は異常だったんです。例えば、就活に行った経費は企業負担。就活の時のご飯は豪勢なものな上に会社負担。さらに企業を訪れただけで採用してもらってさらに飯を奢ってもらったなどなどあげるだけでもきりがありません。

こんなように企業は就活してくる若者に飢えていたのです。

仰天エピソードその2.ボーナスは袋が立つ

バブル時代はお金が有り余っていた時代でしたのでその分ボーナスも膨らんでいました。例えばボーナスが100万円は新人でも当たり前。さらにそれが年に3〜4回あるんですからびっくりです。さらに会社の経費は使い放題。今では大問題になりそうなファーストクラスの利用などを普通に会社の経費で使ってました。

ちなみに、この時は例え好景気でも給料が変わらなかった公務員はバカで何もできない無能が就く仕事だと言われていました。しかし、それがバブル崩壊を迎えると一転大人気の職業になるのですから面白いものです。

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