俳句といえばこの人!有名著名な俳人と代表作をご紹介
俳句とは五・七・五(十七文字)という限られた文字数の中で、しかも季語を加えるという厳しいルールのもとで作られる文学のこと。日本に古くからある和歌や連歌から発展したものとされていますが、俳句の芸術性を高めたのは松尾芭蕉だといわれています。今回は多くの俳人の中から、松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶、正岡子規の4人に着目。それぞれ、代表作とあわせて解説いたします。
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江戸時代前期を代表する俳諧師「松尾芭蕉」
松尾芭蕉は1644年生まれ。江戸初期に活躍した俳人です。
生まれは伊賀国(現在の三重県伊賀市)。生家は農業を営んでいたといわれていますが、芭蕉は若いころから地元の士族・津藩藤堂家に仕えていました。その縁で、京都在住の俳人・北村季吟に弟子入りします。
29歳のときに独立を許され、伊賀を離れて江戸へ。他の俳人たちと交流したり、俳句の先生をしたりしながら腕を磨きます。
1689年、弟子の曾良を伴い、俳句を詠む旅「奥の細道」へと出発。北関東から東北、越後、越前など、2,400キロメートルにも及ぶ長い旅の間に数々の名句を残します。
1694年、西方面の弟子たちを訪ね歩く旅の途中、大坂で病に倒れ、御堂筋の宿で静かに息を引き取りました。
【松尾芭蕉の代表作】
古池や蛙飛びこむ水の音(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)
夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
五月雨をあつめて早し最上川(さみだれを あつめてはやし もがみがわ)
閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)
旅に病で夢は枯野をかけ廻る(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)
俳人・画人としてマルチに活躍「与謝蕪村」
与謝蕪村(よさぶそん)は江戸中期の俳人であり、画家としても活躍した芸術家。俳句と絵画を組み合わせた「俳画」の第一人者であり、マルチな才能を見せた人物として知られています。
生まれは1716年。出身地は摂津国(現在の大阪市都島区)。生家の職業や幼少期の様子など詳しいことはわかっていません。
17歳のときに両親を亡くし、故郷を離れ、しばらくして江戸へ出て俳句の道に入ったのだそうです。
俳句の師匠がこの世を去ると、再び当てのない旅へ出た与謝蕪村。あちこち旅をしながら、寺院などにある古典絵画をお手本に絵を学び、絵画の制作に力を注ぐようになります。
京都に住まいを構え、旅を重ねながら俳句と絵画の創作を続けた与謝蕪村。1783年、京都で息を引き取ります。68歳の生涯でした。
京都・丹後にほど近い与謝野町の施薬寺には、蕪村が描いた「方士求不死薬図六曲屏風」があり、年に1回、11月3日に公開されています。
【与謝蕪村の代表作】
菜の花や月は東に日は西に(なのはなや つきはひがしに ひはにしに)
春の海ひねもすのたりのたりかな(はるのうみ ひねもすのたり のたりかな)
夏河を越すうれしさよ手に草履(なつかわを こすうれしさよ てにぞうり)
さみだれや大河を前に家二軒(さみだれや たいがをまえに いえにけん)
朝顔や一輪深き淵の色(あさがおや いちりんふかき ふちのいろ)