明治時代の小説家「長塚節」と農民文学の代表作『土』を解説!茨城弁で繰り広げられる農村のリアル
作家・長塚節ってどんな人?
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茨城の誇る作家、長塚節!夏目漱石にその実力を認められた、農民文学の先駆者である明治期の作家です。わずか35年の人生で、正岡子規の唱えた「写生」の手法を自分のものにし、なんと方言(茨城弁)で会話を展開させるという方法で名作『土』を書き上げました。季節や風景、農民の住む風景を愛し描きぬいた早逝の作家。そのプロフィールに迫りましょう。
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茨城県の美しく広いド田舎で。正岡子規と「写生説」との出会い
茨城県岡田郡国生村(現在の常総市国生(こっしょう))。その豪農の家に1879(明治12)年、長塚節は生まれました。もう、当時の茨城県は、ド田舎。21世紀の現在も魅力度ランキング最下位を突っ走る茨城県ですが、明治時代はさらに田舎でした。その様子は長塚節の作品に活写されています。
長塚節は広い関東平野と筑波山、そして鬼怒川を望む農村に生まれ育ちました。さすが豪農の家だけあって彼は勉学の環境に恵まれて育ちます。茨城中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校。県内有数の進学校です)に主席で入学。しかし4年生まで進級したところで、脳神経衰弱にかかってしまいます。体の弱い長塚節は実家で静養することになりました。
当時はちょうど日本全国津々浦々、文学熱が高まっていた時代。この近代日本文学の開化の中で書かれた、正岡子規の『歌よみに与ふる書』を手にとったことが長塚節の人生を変えます。正岡子規の唱える「写生説」に衝撃を受け、激しく共感。19歳で読んだ『歌よみに与ふる書』の著者である正岡子規のもとへ上京し弟子入りしたのが、2年後の21歳でのことでした。
夏目漱石による称賛、そして早逝
正岡子規の死後も長塚節は短歌において写生的な作風を維持。「子規の正統な後継者は長塚節」とも呼ばれるようになっていました。そんな中で散文小説も寄稿し、ついに大作『土』を執筆します。これは農村の風景を写実的に描いた力作でした。これを読んだのが日本文学の巨人・夏目漱石。多くの後輩作家を育て上げた漱石でしたが、正岡子規の友人というツテにより『土』を手に取ることとなったのでした。
夏目漱石は『「土」に就て』でこのように『土』を称賛しています。
作者は鬼怒川沿岸の景色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究してゐる。畠のもの、畔に立つ榛の木、蛙の聲、鳥の音、苟くも彼の郷土に存在する自然なら、一點一畫の微に至る迄悉く其地方の特色を具へて叙述の筆に上つてゐる。だから何處に何う出て來ても必ず獨特である。其獨特な點を、普通の作家の手に成つた自然の描寫の平凡なのに比べて、余は誰も及ばないといふのである。
しかし1911(明治44)年喉頭結核を発症。当時の不治の病にかかった長塚節は、手術を繰り返しながら必死で療養を続けます。名医を求めてやってきた九州で容態が悪化。九州帝国大学附属病院の隔離病棟に入院し、そのまま病室で亡くなりました。わずか35歳での早逝です。出身地である常総市国生の生家は、現在茨城県文化財に指定され保全されています。
長塚節の代表作『土』を解説
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夏目漱石により「自分にはもちろん、他の誰にも、長塚君以外には書けない独特(ユニーク)な作品」と絶賛された、農民文学の代表的作品『土』。長塚節が書いた唯一の長編小説で、1910(明治43)年、東京朝日新聞で連載されました。懐かしく土臭い茨城弁の響き、丁寧に描かれるがゆえにストーリーらしいストーリーはなく……。夏目漱石も言っているとおり「面白いとは言えない、苦しい読み物」ではありますが、日本文学の風景を変えた小説です。どんな小説なのでしょう?
茨城県民以外には読めない!?明治期の農村のリアルを描いた小説『土』
「俺らそれ程でねえと思つて居たが三四日横に成つた切でなあ、それでも今日等はちつたあえゝやうだから此分ぢや直に吹つ返すかとも思つてんのよ」
「そんぢやよかつた、俺ら只ぢや歩いてもよかつたが、南こと又歩かせちや濟まねえから同志に土浦まで汽船で乘つ着けたんだが、南は草臥れたもんだから俺ら先へ出たんだがな、南もあの分ぢや今夜もなか/\容易ぢやあんめえよ、それに汽舩が又後れつちやつてな」
『土』の一節です。何を言っているかわかりますか?この調子で全編茨城弁での会話が繰り広げられます。しかも旧字旧仮名遣いで記される小説『土』は現代の私たちが読むにはやや難解です。しかしこの方言のリズムは、まさに実際の茨城弁をそのままに写生したもの。茨城県民は一種のノスタルジーを覚えながら読むことができます。
同じ茨城県でも地方によって方言のニュアンスや生活は違いますが、この舞台となっているのは県西方面。2017年上半期のNHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』では北茨城の舞台となり、山間部で育つみね子たちの成長物語が初々しく描かれました。が、この『土』では県西部の関東平野の中にある、東京に比較的近い、茨城県鬼怒川沿いの農村が描かれます。農村、その中の1家族の苦しい生活、そして鬼怒川沿いの地方の四季や風物を含めた光景のすべてが丁寧に描かれているのです。
茨城県民なら「あーあるある」とノスタルジーにかられる、茨城弁の響き。正直他県の人には読みづらい小説。夏目漱石もよくこれ、読んだな。と思うくらいです。それまでの日本文学はあくまでも都会の、それも知識人階級のモラトリアムや葛藤、恋愛を描くことに重点を置いていました。ここまで写実的に、スポットライトの当たったことがなかった「農村」それも「貧農」という存在を丁寧に描いたのは、それまで長塚節の他にいなかったのです。
なんと映画化!執念で生まれた幻の大作映画『土』
Nikkatsu – Nikkatsu, パブリック・ドメイン, リンクによる
貧しく苦しい貧農の生活を描いた、写実主義小説『土』。ネイティブ茨城弁の(現代人の筆者にとっても難しい)セリフは、読むのは正直大変です。しかしなんとこの小説、映画化をされています。公開は1939(昭和14)年、監督は内田吐夢。戦争の混乱の中で142分のフィルムは失われ、現在残っているのは海外の映画祭に提供された短縮版のみ。現代の私たちはすべてを観ることはできませんが、これがまたスゴイ映画だったようです。
撮影には2年の歳月を費やしました。農村を描くのにあたって、季節の移り変わりや情景の撮影は絶対に外せません。多摩川撮影所で長期間、そしてばく大な予算を費やして撮影されたこの地味な題材の映画は「ウケる保証がない」「資金不足」として責任者が退社するという事態になります。撮影は一時中止……と見せかけて、様々なカモフラージュをして密かに撮影続行。予算は他の映画分からこっそり削って持ってくるという、執念が実った映画だったのです。
小作農の生活という超地味な題材(農村風景が丁寧に写生される原作の小説にも、物語のようなものは特にありません)から、興行成績が心配されたものの、これがなんと大ヒット!文部省の推薦を受ける、第1回文部大臣賞、第16回キネマ旬報ベスト・テン第1位に選ばれるなどの高い評価を得ます。後にヴェネツィア国際映画祭へ出品されました。戦後、このヴェネツィア国際映画祭のためにドイツへ送られたフィルムが当時の東ドイツで発見されます。しかし戦火により結尾の部分は永久に失われてしまいました。残念極まりないことです。