平安時代日本の歴史

とある少女の人生の姿を描いた「更級日記」をわかりやすく解説

平安文学は日本史というジャンルだけではなく、古典や国語などの文章にも採用されるほど非常に日本人の性格に合うものでした。 今回解説する更級日記もそんな文学の一つであり、今の日本人にも通じる部分もあるかもしれません。 さて、今回はそんな更級日記について詳しく解説していきたいと思います。

更級日記の簡単な概説

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更級日記とは作者である菅原孝標女が13歳の頃から52歳の頃までの約40年間が綴られている平安時代における代表的な日記文学の一つです。この更級日記の更級は古今和歌集の「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」という信濃国(現長野県)の千曲付近で詠まれた和歌が由来となっていますが、この作品は全然信濃国とは関係がないのでご注意を。

更級日記とは一体どんな日記なの?

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更級日記とは菅原孝標女のいわば自叙伝みたいな日記なのですが、そんな更級日記を読む上で大事なのが源氏物語の憧れ。

この更級日記は作者である菅原孝標女が源氏物語に憧れを抱いたりするなど赤裸々な部分を忠実に描かれていて、現代風にいうと「オタク女子が好きな作品を見てドキドキしているツイート」を集めたものだと思ってくれればいいですね。

菅原孝標女の生涯と更級日記

菅原孝標女は1008年に菅原孝標の娘として生まれました。

この菅原孝標はあと学問の神様で有名な菅原道真から数えて六代目というかなりいい家系の生まれで、伯母にはよく菅原孝標女と間違われる蜻蛉日記の作者である藤原道綱母がいました。

菅原孝標は娘が生まれた頃上総国(千葉県中部)の国守という今で言うところの県知事の仕事をしており、その父の関係で幼少期はこの上総国で暮らすことになります。

しかし、平安時代の頃の関東は今と比べ物にならないほどのど田舎。もちろん娯楽なんて皆無でしたのでやることといえばお世話係との会話ぐらい。「東路の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを」(東の果てである上総国とかいうとんでもないど田舎で育った私なんて都の華やかなことなんてわからないんだよなぁ)と表したようにこの上総国の生活が退屈で仕方なかった菅原孝標女でしたが、そんな彼女が憧れを抱いたのが源氏物語。

この頃、都では紫式部が著した源氏物語が貴族たちの間で大流行。この噂は遠く上総国まで届いており、源氏物語のストーリーを聞いた菅原孝標女は源氏物語のストーリーに胸をときめかせていつか都にて源氏物語を読みたいという欲にかられることになります。

今時に言うところの「沼にハマる」と言うことでしょうか。

彼女は源氏物語を読みたくてなんと等身大の仏像を作らせ、この仏像を拝んで源氏物語が読めるように祈ったんだとか。すごい根気ですね。

都に行けるようになった菅原孝標女

こうしてどんどん源氏物語の憧れを抱いていく菅原孝標女。しかし仏様に願いが届いたのかなんと1020年に父である菅原孝標の上総国守としての任期が終わったことに伴って都に行くことが決定。菅原孝標女が13歳になった時についに夢であった都での生活を送れるようになったのです。

上総国から撤収する菅原孝標一行。彼女は作って拝んでいた仏像を置いていくことになり、家に見える仏像を見て「年ごろ遊び馴れつる所を、あらはにこほちちらして、立ち騒ぎて、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。」記したほどに涙がこぼれたそうです。

こうして13年もの間生活してきた上総国から離れることになり、一行は京への旅路に出発。

相模、駿河を通って富士山を眺めて感動したり、相次ぐ山越えなどに苦しみながら3ヶ月かけて京都に到着。更級日記にはこの旅の過程もきっちり書いています。

乳母の死と相次ぐ不幸

こうして3ヶ月かけて都に到着した菅原孝標女。

もちろん、国守は単身赴任でしたので菅原孝標女の実母とも初対面できる感動的なシーンなんですが、彼女からしたらそんなことより源氏物語。新たに住むことになった屋敷に着いてすぐに実母に「源氏物語を読ましてください!」とせがむようになりました。

しかしこの頃の本は写本が基本。冊数が限られているなど全巻コンプリートするのは大変です。

しかし実母は彼女の期待に応えたいとある程度の源氏物語の本を彼女に譲ってもらえることに。全巻ではありませんが憧れであった源氏物語を読める幸せは彼女にとったらとんでもないことでかなり狂喜乱舞したんだとか。

しかし、ここで悲しい知らせが彼女の元に。

なんと、上総国に残っていた乳母が流行病で亡くなったという知らせが届いたのです。

乳母は小さい頃上総国に暮らしていた菅原孝標女からしたら実母同然の存在。

この乳母の死の知らせは彼女にとって大きなショックだったそうで、「せむ方なく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。」と源氏物語のことを読むことができなくなってしまうほどに落ち込んでしまうことになりました。

このことを気にかけた実母はなんとかして源氏物語をある程度取り寄せることに。菅原孝標女は物語を再び読んでいくうちに再び元気を取り戻すことができるまでになりました。

更級日記には宮参りをする回想が多いことでも特徴ですが、これを見ると物語を読みたい彼女が全巻読むために度々神社を訪れたことがわかります。

伯母とようやく全巻読破できた源氏物語

神社に度々お参理をしていた矢先、菅原孝標女の伯母が京都にやってくることになりました。伯母は菅原孝標女が源氏物語が大好きだということを聞いて源氏物語全巻を菅原孝標女にプレゼント。

彼女の喜びはとんでもないほどで彼女はその後夢の中で法華経を読んでほしいと仏がやってくる夢を見るほどこれまで傾倒していた仏道よりも源氏物語を読み進めることになりました。

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