あれ?思ったのと違う?菅原孝標女の失望
源氏物語を読み進めていくと物語の舞台にもなっている宮中にも憧れを抱き始めていった菅原孝標女。
父である菅原孝標が亡くなると縁があって祐子内親王家という皇女のお手伝いをするようになりました。
宮に使えれば光源氏や宇治の大将のような素敵な男性に巡り会えると考えていたとは思いますが、しかし実際の宮中は物語とはまったく違い、都の現実が見え始めます。
現在でも学園モノの漫画を見ていざ憧れの高校生活に入ると「思っていた高校生活とは違う!」と実感する人もいますが、まさしく彼女は同じようなショックを覚えたのでしょうね。
そして30代に入ると朝廷の役人であった橘俊通という人と結婚。
しかし、そこでも源氏物語にあったような結婚生活ではなく可もなく不可もなくといった感じの平凡な結婚生活だったことが分かると都での生活に幻滅するようになり始めました。
40代に入ると、源氏物語を読むことをやめて源氏物語の作者である紫式部ゆかりの地である石山寺や長谷寺などの近畿地方の著名な寺に参詣したりと悠々自適な生活を送りそのことを日記に収めて行きます。
そして51歳の時に夫が亡くなり子どもも自立すると自分が目指していた人生についての日記を書くのをやめ、日記の最後に若かりし頃に源氏物語に夢中になり過ぎていて現実が見えていなかったことを深く後悔してせめてこれからはきちんと仏と向き合おうという形で締めくくられました。
その後の彼女の動向は分かっていませんが、彼女が書いた更級日記は皮肉にも源氏物語の時代区分に関する第一級の資料として今に伝わっており、平安時代の女性の赤裸々な生活を記したこともあって平安時代の女流日記文学の代表的な日記となっているのです。
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更級日記とは今の日本人と同じ感性で作られた
平安時代の人々は今の日本人とはかけ離れていると思われがちなのですが、実はそんなことではなく更級日記みたいに人の赤裸々な部分がよくわかるような文学でした。
古文が苦手な人もそう思うと勉強が捗るかもしれませんね。