大正日本の歴史

大都会・東京のど真ん中に広がる豊かな杜・明治神宮の歴史と魅力について

1千万都市・東京のど真ん中、若い人たちでにぎわう原宿駅のすぐそばに広がる豊かな緑の中にあるのが明治神宮。大都会であることを忘れてしまうほどの鬱蒼とした木々を歩くと、日々の忙しさを忘れてゆったりとした時間を過ごすことができます。さぞや古い歴史がのある神社かと思いきや、創建は 大正9年(1920年)と比較的新しい。一体どんな神社なのでしょう。神宮って、普通の神社とは違うの?誰もが知っているけれど意外と知らない明治神宮の歴史と見どころ、たっぷりとご紹介いたします。

場所は?創建は?広さは?日本人なら知っておきたい明治神宮の基本知識

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明治神宮はJR原宿駅のすぐそばにあると述べましたが、明治神宮のそばに原宿駅がある、と表現したほうがマッチするのではないか、と思うほど、明治神宮の敷地は広大です。駅から迷うことはまずありませんが、敷地内に入ってから道に迷う人は多いかも。とにかく広いです。まずはそんな明治神宮の基本情報について見ていきましょう。

明治神宮とは?広さはどれくらい?何区にあるの?

明治神宮とは、明治天皇と昭憲皇太后(明治天皇の皇后)をお祀りしている神社です。住所は東京都渋谷区代々木神園町1番1号。JR山手線原宿駅から徒歩1分という場所にあり、アクセスの良さもあって参拝に訪れる人も多く、毎年、初詣の参拝者数日本一を誇っています。

おしゃれなお店が連なる「表参道」は、もともとは明治神宮の参道のことでした。

明治神宮には、神宮の周囲を囲む緑の杜「内苑」と、その外側を囲む「外苑」があります。内苑といってもその広さはおよそ70万平方メートルにもおよびますが、外苑はさらに広い。現在、野球場や国立競技場、明治記念館、ラグビー場などが立ち並ぶ一帯、千駄ヶ谷や信濃町、青山一丁目のあたりまでを外苑と呼びます。

秋になるとテレビや雑誌などでよく取り上げられるイチョウ並木も神宮外苑の中。豊かな緑に囲まれ、観光客も多く訪れるエリアです。

とにかく広い!

一般には内苑を「明治神宮」と呼んでいますが、それでも相当な面積。明治神宮は日本一広い敷地面積を持つ神社とも言われているのです。

神宮と神社ってどう違うの?

ところで「神宮」と「神社」とはどう違うのでしょうか。

ほかにも、「大社」と呼ばれる神社もあります。神社には、お祀りしている御祭神や神社創建の目的などによって、様々な呼び方があるのです。

こうした神社の呼び方のことを「社号」といいます。

では、それぞれどんな違いがあるのか、簡単に見てまいりましょう。

「神宮」とは、天皇をお祀りする神社、または皇室と深いつながりのある神社です。天皇や皇族の方々をお祀りする神社のことを「神宮」と呼んでいます。

三重県にある伊勢神宮は、皇室の祖とされる天照大神が御祭神。京都の平安神宮は桓武天皇(京都に都を移した天皇)や孝明天皇(明治天皇の父)が祀られています。愛知県の熱田神宮は三種の神器の一つである天叢雲剣(草薙剣)をご神体とし、滋賀県の近江神宮は天智天皇(中大兄皇子)が御祭神と、それぞれ、天皇または皇族にゆかりがあるのです。

「大社」とは格式高く由緒ある大きな神社のことを表す言葉で、もともとは出雲大社のことを指していました。出雲大社は大国主命を祀っている、島根県にある神社です。

出雲大社にのみ許されていた社号でしたが、明治時代に入ってから、春日大社や熊野大社など、各地の格式高い大きな神社にもこの呼び方が使われるようになりました。

そして「神社」や「社」は、地域の神様や偉人、山や巨木などを祀った神社の社号です。神社としての規模は小さいですが、地域人々の心のよりどころとなり、市井の暮らしを見守り続けた存在には違いありません。

明治時代に創られた?明治神宮の歴史とは

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明治神宮が明治天皇・皇后をお祀りするための神社であることはわかりましたが、ではいつ頃、どのようにして建てられたのでしょう。なぜこんなにも広いのか、そのあたりの事情も歴史を紐解けば何かわかるかもしれません。神宮の森はどのようにして完成したのか、その歴史をのぞいてみたいと思います。

天皇をお祀りする場所を!人々の思いが形になった明治神宮

1912年(明治45年)7月、明治天皇が崩御します。江戸時代から明治時代に入って初めての天皇崩御ということもあって、何もかも初めてづくし。明治天皇の墓所は京都の伏見桃山陵ですが、東京でも何か、明治天皇にまつわる行事をやろう、という声が起こります。

そして、東京にも神宮を建て、天皇をお祀りしようという意見が交わされるようになりました。

東京市長(当時は東京市)阪谷芳郎や、新しいお札の肖像になる実業家・渋沢栄一など有識者によって計画は進められます。場所は代々木。政府が買い上げた御料地となっていた、20万坪を超える広大な敷地に神宮を建てることになったのです。

1915年(大正4年)5月、明治神宮の創建計画が大々的に発表されます。

今では信じられないことですが、実は代々木の御料地は、この当時は木もまばらな野原で、何もない荒地でした。

神宮建設計画では、この場所に、100年先を見越した森を作ろうというプランが盛り込まれます。ただ美しく造園するのではなく、長い歳月をかけて美しい森になるよう、計画的に植樹をすることにしたのです。

専門家たちによる緻密な計算のもと、樫や椎の木などが植えられていきます。この木々が成長して枯れ、倒木を栄養にして新たな木々が芽吹く……。そんな自然の営みが未来永劫続くよう、多くの人の思いが込められた神宮の森。結果は御覧の通り。現在では、17万本もの木々と多種多様な動植物が命をつなぐ美しい森になっています。

明治の森と代々木村のモミの木

明治神宮の造営には、全国から1万人以上もの人々が奉仕したのだそうです。東京に明治天皇をお祀りする場所を作りたいという人々の思いの強さがうかがえます。

神宮の完成(鎮座祭)は1920年(大正9年)。建設開始からおよそ5年の歳月をかけて、明治神宮は100年200年かけてともに成長する美しい森とともに東京の地に誕生しました。

1945年(昭和20年)、空襲により本殿は焼失しますが、このときも全国から復興のための資金が集まります。

明治神宮が建つ渋谷区代々木の地名は、もともとこの場所に立っていた大きなモミの木に由来しているのだそうです。このモミの木、幹の太さが10.8メートル(三丈六尺)もあったとか。大変な巨木で、江戸の名所にもなっていたと伝わっています。

しかし残念ながらこの巨木も空襲で焼失。境内にはそのことを伝える立て看板がひっそりと立っており、そのそばには、戦後植えられたモミの木がすくすく育ってします。

森は育つ。敷地内の木々とともに、このモミの木もこれからも成長し、訪れる人々を見守り続けるのでしょう。

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