- 華麗なる一族はどこから来た?メディチ家の歴史とは
- 13世紀~14世紀・銀行家として頭角を現す
- 14世紀~15世紀・政治的な実権も握る
- 15世紀~16世紀・フィレンツェ追放とトスカーナ大公国
- つわものぞろい!メディチ家の主な当主たち
- 栄光はここから「ジョヴァンニ・ディ・ビッチ」(1360年~1429年)
- 祖国の父と称された「コジモ・イル・ヴェッキオ」(1389年~1464年)
- 全盛期を謳歌「ロレンツォ・イル・マニーフィコ」(1449年~1492年)
- ルネサンスを盛り上げたローマ教皇「レオ10世」(1475年~1521年)
- 街全体が美術館!フィレンツェに今も残るメディチ家ゆかりのスポット
- シンプルかつゴージャス!サン・ロレンツォ教会
- メディチ家代々の当主が眠る「メディチ家礼拝堂」
- 名画に囲まれて「パラティーナ美術館(ピッティ宮殿)」
- 豪華で荘厳でミステリアス!フィレンツェ・メディチ家の歴史と歩み
この記事の目次
華麗なる一族はどこから来た?メディチ家の歴史とは
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イタリアの人気観光地のひとつ・フィレンツェ。イタリア・ルネサンスの中心地としても知られる芸術の都です。古くから毛織物産業や交易でにぎわっていたフィレンツェは、裕福な商人たちによって、より美しい町へと発展していきました。中でも最も力を持っていたのが、有力な銀行家であり政治的にも大きな力を持っていたメディチ家です。まずはそんなメディチ家の歩みについて解説いたします。
13世紀~14世紀・銀行家として頭角を現す
メディチ家は大変有名な一族ですが、その起源ははっきりしていません。「メディチ」とは「医師」や「薬」を表す単語ということで、医業または薬種業を営んでいたのではないかと考えられていますが、詳しい資料は公開されていないのだそうです。
13世紀初頭、メディチ家は両替商としてその名を広めていきます。
当時のキリスト教世界では、金貸し業のような仕事はあまり歓迎されていませんでした。しかし一方で、交易が盛んに行われ新しい経済の仕組みを必要としていたフィレンツェでは、銀行や両替商のような商売は不可欠な存在となっていたのです。メディチ家はこの波に乗って大成したものと考えられています。
14世紀~15世紀・政治的な実権も握る
この時代、メディチ家はフィレンツェだけでなくローマをはじめ近隣都市に次々と支店を出し、影響力を強めていきます。やがてその莫大な財力によって政治の世界へも進出を始めるのです。
15世紀初頭にはローマ教皇庁の財務管理者になり、政界でもお金を動かすようになります。その結果、さらにお金持ちになり、教会内の勢力争いに介入するなど、政治的な実権も握るようになりました。
さらにメディチ家はイタリアの外へも進出します。ジュネーヴ、アヴィニョン、そしてロンドンと各地の都市に支店を出し、ヨーロッパ屈指の大富豪へと昇りつめていくのです。
潤沢な財力と権力を手中に収めたメディチ家は、フィレンツェを美しく高貴な都市にすべく、数々の芸術家たちに資金を提供し育てていきました。メディチ家のバックアップを得て、絵画、建築、文学など様々な分野の芸術がフィレンツェの地で大きく開花していきます。
15世紀~16世紀・フィレンツェ追放とトスカーナ大公国
銀行家として、ルネサンスの強力なパトロンとしてその名を世に知らしめたメディチ家ですが、15世紀末ごろから徐々に様子が変わってきます。栄華の裏では、メディチ銀行が経営不振に陥っていました。
長年にわたる散財や、大物政治家たちへの貸付の焦げ付き、イタリア戦争など様々な出来事が重なって、メディチ銀行は規模の縮小を余儀なくされることに。市民から不振を買い、メディチ家は一時的にフィレンツェから追放されてしまうのです。
しかし彼らは転びっぱなしではありません。16世紀に入って、ドイツ系の名門・ハプスブルク家の支援を受けてフィレンツェに戻ってきます。フィレンツェに戻ってからのメディチ家からは、なんとローマ教皇が2人も出ているのです。
莫大な財力と権力を持つメディチ家は、常に権力闘争の渦中にありました。
16世紀前半には神聖ローマ帝国の皇帝との間に争いが起き、メディチ家は再びフィレンツェを追われます。その後皇帝とは和解が成立し、フィレンツェに復権。16世紀中頃には近くのトスカーナ大公国も統治してトスカーナ大公を名乗ります。
メディチ家の本家血筋は18世紀まで続きますが、後継者がおらず本筋は1737年に断絶。銀行家として成功し莫大な富を築いただけでなく政治の世界に深く関わったことで、波乱万丈の月日を送った名門一族の歴史は、こうして幕を閉じたのです。
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つわものぞろい!メディチ家の主な当主たち
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