日本の歴史

「皇帝」「教皇」「法王」「法皇」「天皇」…尊称の違いって?歴史と一緒に解説

カトリックのトップは誰?「ローマ法王でしょ?」違います!バチカン市国の推奨している呼称は「教皇」。法王じゃない理由はなんとなく知っているような知らないような……あれ、日本にも法皇っていたよね?そういえば「皇帝」って、どうしてそう呼ぶようになったの?ローマ教皇ってなんでえらいの?日本の天皇の皇帝との違いは?ふだんあまり考えることのない、尊称の違いとその歴史を探っていきましょう。

【ローマ皇帝】王じゃないけど最高権力者!ローマ皇帝の意外なホントウ

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武力で、文明で、宗教で世界を征服したローマ帝国。ヨーロッパ史における「皇帝(Caesar)」の称号のはじめは古代ローマ帝国にさかのぼります。皇帝のイメージというと「王様」とほぼイコールなのでは?ローマ人は事実と建前をうまく使い分けていました。なぜ「王様」って呼ばないの?ローマ皇帝は親から子への世襲じゃないって知っていましたか?「皇帝」の意外な姿をご紹介。

王様じゃない!という建前のために……ローマ皇帝の意外な世渡り

ラテン語で皇帝は「Caesar」。由来はユリウス・カエサル、英語読みのジュリアス・シーザー、そして「ブルータス、お前もか!」のセリフでおなじみのあの方です。ガリア戦争やローマ内戦で活躍した英雄でしたが、盟友ブルータスにより暗殺されます。皇帝の語源になったカエサルは実際には皇帝になっていないんですね。

カエサルの遺志を継いで実際に初代皇帝となったのは、カエサルの義理の大甥・オクタウィアヌス。皇帝の座につく際に「アウグストゥス」の名を得ます。当時寡頭政がどん詰まりでどうしようもなくなっていたローマ帝国は、強大な権限を持つリーダーを欲していました。しかし「独裁」が大嫌いなローマ市民。独裁をイメージさせる形式は避けなければなりません。

そこでうまいこと工夫しました。皇帝とは、あれやこれやの役職を兼任するただの一政治家という建前を作ったのです。ローマ皇帝の役職権限は執政官(軍事・内政の最高責任者)属州の総督任命(人事担当、属州に対する命令権(地方自治)護民官職権(行政権の掌握。また立法機関の平民会の招集ができる)神祇官(国の平和と安寧を祈る神官)……と権力と名のつく物ほとんどすべてに渡ります。というか、ホントに全部ですね。

選ばれし者がなるローマ皇帝。やがて……

見事なバランス感覚で「皇帝」がリーダーシップをとることができるような仕組みを作ったことは前に述べました。なんとこのローマ「皇帝」の座は、父から息子へといった世襲制度ではなかったのです。後継者は、元老院や現職皇帝から、つまり周囲から認められた者。この点非常に特異と言えるでしょう。

しかしその辺「うちの子孫に永久に財産や権力を遺したい!」というのが親心と人情。300年のパックス・ロマーナ(ローマの平和)はこの世襲NG制度で保っていましたが、古代ローマ帝国の斜陽は皇位継承権が完全世襲化したことと、広大な領土を東西それぞれ別の皇帝が治めると決めたことから、衰退がはじまります。

皇帝の称号はその後ゴタゴタした後「神聖ローマ皇帝」として残りました。神聖ローマ帝国と皇帝の名は、ハプスブルク家が継承してナポレオン戦争後まで細々と継がれることとなりますが……ヨーロッパ世界の真の権威はそう、「ローマ教皇」に移るのです。

【ローマ教皇編】使徒座?神の代理人?世界最強の男の正体

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神の代理人として西洋世界に君臨する男(高位聖職者は男なので、ローマ教皇は必ず男です)それはローマ教皇です。当初はキリスト教教会のまとめ役程度だったのが「教皇の声はキリストの一番弟子ペトロの声」「神の代理人」と名乗るようになり、ヨーロッパを統括する権力を持つに至ります。しかし現在はディズニーランドより小さな「バチカン市国」の元首……どういうこと?あまり知らないローマ教皇の物語をご一緒に。

神の代理人「使徒座」として

「教皇とは使徒座の継承者」と聞いたことがある方もいるかもしれません。使徒座ってなんでしょう?新約聖書に記されている話ですが、イエス・キリストの一番弟子・使徒ペトロは、復活したキリストから「天国の鍵」を手渡されています。「天の国に入る鍵を渡された、神の代理人ってことは聖書にも書いてある!」とこれが「使徒座」の根拠です。

ローマ教皇はこのペトロさんの後継者として現在まで続いています。中世期には世俗の王たちから寄進を受けるなどして「教皇領(「教皇国家」とも)」をゲット。ローマ教皇はこの「教皇領」の王様。世俗を離れながら、世俗に介入する最高権力者。だから有名な「カノッサの屈辱」のように、神聖ローマ皇帝を破門だってできるのです。

ルネサンス期には強大な権力を得ていました。セレブのような生活を送ったこの時期。ローマ教皇はじめ貴族の子弟たる高位聖職者たちは美術に眼が肥えており、著名な画家たちのパトロンに。バチカンの美しい絵画芸術はこの時期の「権力=お金」の結晶です。しかし真剣な信仰を持つ人たちが怒り心頭。16世紀ルターをはじめとした宗教改革により爆発し、カトリックの権力は凋落の一途をたどっていくこととなるのです。

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