- 【近世まで】領土問題と宗教対立と……イギリスとアイルランドのフクザツな距離感
- 領土を拡大せよ!イングランドの征服意欲
- 英国国教会(プロテスタント)か?カトリックか?
- 【近代】打倒カトリック!イングランドによるアイルランド征服
- クロムウェルのアイルランド征服とカトリック差別
- フランス革命、アメリカ……独立ブームの陰での「併合」
- 【近現代】アイルランド対イギリス、はてしない内戦
- 過酷な天災に、残酷な対応「ジャガイモ飢饉」
- 独立運動からテロリズムへ……アイルランド共和軍「IRA」
- イギリスとアイルランドの現在
- ようやく和解と平和へ――1998年「ベルファスト合意」
- イギリスの謝罪、歩み寄り、しかし……
- 長い長い「The Troubles」の果てに
この記事の目次
【近世まで】領土問題と宗教対立と……イギリスとアイルランドのフクザツな距離感
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グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(以下「イギリス」)は、グレートブリテン島とアイルランド島の北部(北アイルランド)で構成されています。グレートブリテン島から隣国となるアイルランド島までは、フェリーでわずか2時間。この「近すぎる島国同士」の距離感と「領土拡大意欲おう盛なイングランド」「宗教対立」が2国間の歴史を紐解く上での鍵となります。まずは近世までの「前段階」をたどっていきましょう。
領土を拡大せよ!イングランドの征服意欲
ヨーロッパの最西端、グレートブリテン島。この島の中にイングランド、スコットランド、ウェールズの3国、そしてアイルランド島の北部アイルランドを加えた4つの国の連合が「イギリス」の正体。中世からあるこの4つの国の中でもイケイケだったのが、ブリテン島南部にあるイングランドです。
勢力拡大と領土拡張意欲が旺盛なイングランドはその歴史の中で、スコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドを併合し勢力下に置きます。イングランドはやがて大航海時代、海のかなたまで領土を求めますが、それほど領土拡張意欲がムンムンだったということを覚えておいてください。植民地支配や戦争の繰り返しで成立しているのがイギリスの歴史です。
アイリッシュ海とノース海峡を隔ててひとつの島、ひとつの文化、独自の国家として成立していたアイルランドにおいて、その感情がさらに複雑でした。イギリスとアイルランドの歴史は「イングランドからの侵略と対抗の歴史」という基礎構図をまず覚えておきましょう。
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英国国教会(プロテスタント)か?カトリックか?
イギリスとアイルランドのゴタゴタを語る上で避けて通れないのが、宗教改革と、それにともなう宗教対立問題です。それまではなんとか折り合いをつけてきたといってもいい両国でしたが、16世紀に事情が急展開を迎えます。ときの国王ヘンリー8世が「離婚したいのにローマ法王(教皇)がさせてくれない、カトリックやめてやる!」という理由ではじめたイギリスの宗教改革。イングランドは自らの勢力拡大も兼ねて「プロテスタントにならへんか」とアイルランドに強要してきます。
プロテスタントにとってカトリックが邪魔っけな理由が、ローマ法王の存在。キリスト教世界最強の権力者・ローマ法王が絶対であるカトリック信徒が、プロテスタントのイングランド政府に逆らうと面倒なのです。
アイルランドは熱心なカトリック信徒が多く、イングランドの要求を拒否。ここに21世紀の現在まで500年続く、プロテスタント(イングランド)VSカトリック(アイルランド)の対立構図が成立しました。さらにたちの悪いことがあります。宗教問題が絡むことで相手を「邪教徒・異端」として排除する建前が成立するのです。イングランドからの侵略と、プロテスタント対カトリックの確執。
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【近代】打倒カトリック!イングランドによるアイルランド征服
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さて時代を近代に移しましょう。17世紀、イングランドの天才的な政治家・軍人クロムウェルがアイルランド征服を開始。ついにアイルランドはイングランドの「植民地」として支配下にはいります。イングランドはアイルランドの政治機能を掌握、アイルランド人およびカトリックが社会の下部層に押し込まれる社会の仕組みとなってしまいました。イングランドによる巧妙きわまりない支配の構図とは?見ていきましょう。
クロムウェルのアイルランド征服とカトリック差別
17世紀はアイルランドの血塗られた世紀です。イングランドの政治家・軍人であるクロムウェルが「打倒、異教徒カトリック!」という口実で1649年からアイルランド征服を敢行します。1653年にはイングランドはアイルランドを完全掌握。この戦争がきっかけでアイルランドの人口の3分の1が失われました。アイルランドは独立性を奪われることになり、この状況は20世紀まで続くのです。
アイルランド人に独立意欲がなかったわけではありません。たび重なる独立運動や蜂起にも関わらずイングランド政府に手出しできなかったのは、イングランドが徹底して行った、植民地アイルランド統治のための社会システムの構築がありました。イングランド統治下においてカトリック教徒=アイルランド人はプロテスタント=イングランド側から徹底的に差別され、19世紀になるまではカトリック教徒は政治家はもちろん、公務員にすらなれなかったのです。政治に関われなければ、みずからのコミュニティに必要な法律も作れません。
アイルランド人地主は領地を没収、プロテスタントのイングランド人にその土地が与えられます。すべてのアイルランド人は「イングランド人地主の小作人」として、社会の下層階級に置かれてしまったのでした。このイギリスの政治能力、おそろしいですね。
フランス革命、アメリカ……独立ブームの陰での「併合」
18~19世紀の一大イベントといえば、そう、フランス革命にアメリカ独立。それらに触発された各植民地の独立運動ブームです。アイルランドもまた独立へと動き出します。対アメリカ外交でゴタゴタのイングランド政府が強腰に出られないなか、イングランド議会の復権や、イングランド政府がカトリック階級への政治参加を認めようとするなど、妥協的・融和的な政策がとられようとしていました。
しかしすでにアメリカを失っていたイギリス。これ以上の領土喪失は体面上、そして経済上、避けたい事態でした。イギリスは1801年、アイルランドを一方的に併合してしまいます。「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」の成立です(以下「イギリス」と呼称)。これにより「国外植民地としてのある程度の自立性」すらアイルランドは失ってしまいました。
ここで特筆すべきが、アイルランド側にも複雑な感情や利害、事情がうごめいていたことです。この時代、アイルランド内のプロテスタント地主が特権階級として政治権力や富を握っていましたが、小作人階級のカトリック教徒の独立運動や盛んになり、イングランド政府もカトリックに対して軟化する中、「アイルランド人の特権階級がイギリス併合を必要としていたので。アイルランド併合は「アイルランド側のニーズ」でもあったのでした。一方でこのプロテスタント特権階級の中で「アイルランド人」というアイデンティティが生まれるなど、国民感情は一枚岩ではなく複雑でした。
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【近現代】アイルランド対イギリス、はてしない内戦
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ここまでされてアイルランド国民がブチギレないのがどうかしています。「北アイルランド問題」として現在まで尾を引く領土・宗教問題は、これらの前段階を踏まえて19世紀に爆発しました。以後、蜂起、内戦、テロリズム、暗殺……。イングランドによる様々な抑圧、差別が原因となり膨大な死者を出していったといってよいでしょう。単なる天災が「人災」となったジャガイモ飢饉、アイルランドの過激派集団「IRA」など、重要ポイントを触れていきましょう。