イギリスヨーロッパの歴史

イギリスとアイルランドの酷薄な過去とは?これまでの歴史をわかりやすく解説

過酷な天災に、残酷な対応「ジャガイモ飢饉」

1845年~49年、アイルランド史の代表的な悲劇が起こります。ジャガイモ飢饉です。もともと土地の貧しい寒冷地で、じゃがいもを主食にしていたアイルランド島に、大規模なジャガイモの枯死病が流行。作物が病気でやられ、4年間に渡り壊滅的な被害を受けました。

このときのイギリス政府の対応は援助どころか、飢饉状態のアイルランドからイングランドへ食物を輸出させている始末。アイルランドの領主は当時大半がグレートブリテン島に住んでおり、事態の深刻さを実感していなかったからとも、土地の価値が下がって収入が減ることを懸念したからとも言います。

どちらにせよ何の援助もなかったアイルランド人は飢餓に苦しみました。飢饉による死亡・他国への移民などの影響で、アイルランドの人口はジャガイモ飢饉前から半分近くに減ってしまいました。空腹は戦争を呼びます。このジャガイモ飢饉がイングランドへの憎悪を呼び、本格的な独立運動への火種となったのでした。

独立運動からテロリズムへ……アイルランド共和軍「IRA」

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20世紀末まで「北アイルランド問題」において日本のニュースの国際面にも頻出していたワードがあります。「IRA(アイルランド共和国)」です。北アイルランド問題において言及しないではいられない、過激派集団。この問は現在も非常にデリケートで、「北アイルランド問題」「IRA」はアイルランド人には訊かないほうがいいワードでもあります。

19世紀末から成立して活動していたIRA。1921年にアイルランド独立戦争の停戦条約として「英愛条約」が結ばれます。北部アイルランド6州(英領北アイルランド)と南部アイルランド(アイルランド共和国)26州を分断して、北部をイギリス領にしておくという内容でした。IRAの目的は、その北部と南部を統一した「統一アイルランド」を自治国として成立させること。

そのために実行されたのが、爆弾テロ、暗殺。逮捕されればハンガーストライキによる抗議の自殺……市街地や無辜(むこ)の市民も被害を受け、アイルランドの町には今も銃弾や爆発の痕がまだ残っています。一方で1972年の「血の日曜日事件」のように、アイルランド人の平和的デモに対してイギリス軍が銃撃して13人を殺害するなど、憎しみは憎しみを呼んでいきました。

イギリスとアイルランドの現在

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侵略、征服、飢饉、蜂起、テロリズム……散々争いを重ねたイギリスとアイルランド。ついに折り合いをつける日がやってきました。憎しみと血の連続にアイルランド国民もイギリス国民も疲れはてていたのです。北アイルランド問題に関する平和運動家のノーベル賞受賞、「ベルファスト合意」そしてイギリスの謝罪にいたるまで……2国はいまどうなっているのでしょうか。

ようやく和解と平和へ――1998年「ベルファスト合意」

長い長い内線の終焉はようやくやってきます。1977年には北アイルランド問題の和平を目指していた女性平和運動家2人がノーベル平和賞を受賞。IRAも話し合いの席につき、1995年には停戦協定を結びました。1997年のトニー・ブレア政権発足後はイギリス・アイルランド間の和平は一気に進みます。1998年ついに努力は結ばれました。「ベルファスト合意」の成立です。

国民投票によって成し遂げられたこの和平合意の内容はというと、北部アイルランド6州の地方分権を認めること、そしてその6州はイギリス領北アイルランドであるというもの。国民投票が行われ、アイルランドの都市ベルファストで締結されました。

「北アイルランドは誰のもの?」という問題に、国民投票=国民の声を全面反映、みんなの声で決めましたよ、という形で答えを出したのです。1998年というと、ずいぶん最近のことなんですね。不可能だと言われていた和平合意。願えば叶う、という言葉が浮かびます。

イギリスの謝罪、歩み寄り、しかし……

これだけされれば、そりゃ、アイルランドの人たちは大嫌いですよねイギリスのこと。これに対して現代のイギリスはどう対応しているのでしょう?

1997年、ベルファスト合意へ和平の道を進めていたイギリスのトニー・ブレア首相は、アイルランドで開かれていた追悼集会に出席。「ジャガイモ飢饉」に対して正式に謝罪をしました。その後の歴代首相もアイルランドに対する様々な行為を陳謝する行為を行っています。また2011年にはエリザベス女王がアイルランドを公式訪問し、謝罪の言葉を述べました。

が、2016年に大転機が訪れます。イギリスのEU離脱問題です。それまでヨーロッパは「ゆる~い国境なしの共同体=EU」として機能しており、だからこそ通貨も共同。EUの存在によりイギリスとアイルランド間の関係もゆる~くなっていたのです。が、領土問題も再浮上する形になりました。イギリスがEUを抜ければ、また2国は「別の存在」となり「北アイルランドは誰のもの」という問題が揺り戻しになる……今後を慎重に見極める必要があります。北アイルランド問題は終わっていないのです。

長い長い「The Troubles」の果てに

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イギリス・アイルランドの両国で「The Troubles」と言えば北アイルランド問題を示すほど、巨大な存在として今も横たわる2国間の国際問題。欲望にまみれた弱肉強食、自己責任論の西洋史は学ぶとドン引きするものですが、イギリス・アイルランド間の事情ほど酷薄なものはないと感じます。筆者もあらためて調べながら、巧妙なやり方でアイルランド人を下層階級に押しやったイギリス人の狡猾さにあきれ、アイルランド人の涙ぐましいとも言える数百年の独立運動に心を痛めながらの記事の執筆となりました。どんなことがあっても意思を強く持ち、具体的ビジョンと行動をとれば平和は実現し続ける。そう信じています。

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