その他の国の歴史

【独断で選定!】世界を変えた4人の革命家をわかりやすく解説!

独裁政権の打倒

カストロとゲバラはメキシコにて出会った後、キューバに再上陸することを計画。同志と共に1956年にキューバに上陸を果たします。独裁政権からしたらこんなのただの政権転覆のための反乱軍ですが、農民からしたらカストロとゲバラは民衆の生活を良くしようとしている英雄です。

民衆はキューバに上陸したカストロを支持するようになり1959年にハバナに侵攻。

バティスタ政権を打倒することに成功してキューバ革命を成功させたのでした。

カストロは革命を達成させた直後からキューバの土地改革を実施。アメリカ地主が所有していた土地を国有化して農民に与えました。

しかし、これにアメリカが反発。アメリカはキューバと断交して対立関係が出来上がります。

カストロはこれを受けてアメリカに対抗するために社会主義国家の樹立を宣言。アメリカと当時対立していたソ連の支持を取り付けていわゆるキューバ危機という地球の破滅一歩手前の状態にしながらもキューバの独立を保ったのでした。

アフリカに散ったゲバラ

こうしてキューバ革命を達成したカストロとゲバラでしたが、キューバ危機の後から社会主義国家のあり方で対立するようになり、ゲバラはキューバがソ連の強い影響下にあったことを気に入らず1965年にカストロに別れの手紙を出してキューバから去ります。

その後ゲバラは社会主義革命を各地で起こすためにアフリカに移転。アフリカの内戦に参加して社会主義国家の樹立のために戦います。

しかし、ゲバラはボリビアにて革命活動を行なっている時に政府軍に拘束。略式裁判が行われた後に銃殺刑に処されてしまいました。

しかし、欲望に飲まれることなく社会主義国家の樹立のために世界を股にかけたチェ・ゲバラの生き方はこの頃世界中で巻き起こっていた学生運動に強い憧れを与えることとなり、現代でもゲバラは社会主義国家の英雄として扱われています。

キューバのその後

ゲバラがボリビアにて処刑された後、カストロは議長としてキューバ共産党による一党独裁を確立。ソ連の支持や援助を取り付けながらバティスタ政権からキューバにてサトウキビ農園を運営していたアメリカ人の地主を追放。その農園と土地を確保してキューバの国民に振り分けます。

さらにカストロはキューバの教育・医療などの無料化。民衆が安定に生活が出来るだけの社会保障やインフラを整備して順調に社会主義国家として成長していきます。ちなみに、キューバは医師技術がかなり発展している国として知られており、チェ・ゲバラが医師だったことの名残を今に残しているかもしれません。

しかし、1970年からソ連の経済体制が停滞し始めるとソ連の影響を強く受けていたキューバの経済も停滞。さらには共産主義国家の中でも中国とソ連が対立するようになるとキューバは新しい道を模索するようになり自主的に経済体制を整えなければいけなくなりました。

そして、キューバはアメリカの経済制裁を受けながら社会主義国家としての体制を維持。第三世界というアメリカとソ連のどっちにもつかない中立的な立場となり今に至っています。

革命家は世界を変える

image by PIXTA / 9939380

このように革命家たちは自分の力とカリスマ性で国の体制を転覆して革命という形で自分が理想としていた国家を手に入れることに成功しました。

それがのちの世の中にとって良かったのか悪かったのかはまだわかりませんが、この革命家たちが世界の人々を魅了しているということは明らかだと私は思いますね。

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