アメリカの歴史独立後

「エジソン」は本当に偉い人?偉大な発明と挫折をわかりやすく解説

電気オーブンの発明

こうして様々な発明を行ってきたエジソン。エジソンはさらに自身が実用させた電球のように電気を使う新しい機械の発明に着手していきます。そしてエジソンは電気アイロンやヒーターを次々と発明していくのですが、その中でも特に世界に影響を与えたのが電気トースターでした。

『電気トースターのどこが凄いの?』と思うかもしれませんが、これのどこが凄いのかと言うとこの電気トースターによってアメリカ人の食生活が一日二食から一日三食に様変わりしたのです。

エジソンはとある日アメリカのインタビューを受けていたのですが、その時エジソンは「自分がこんなに活躍できているのは一日に三食食べているからだ。みんなも朝に電気トースターを使ってパンを食べよう!」とコメントしたことが原因でアメリカにおいて朝食が広まったんだとか。

おそらくエジソンはこうでもして電気トースターを売りたかったのだと思いますが、エジソンの発明やインタビューによってアメリカの食生活は大きく変わったのです。

エジソンの意外なライバルと結構あったその影響

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エジソンはこのようにさまざまな発明を行なっていき、『発明王』と呼ばれることもあったそうですが、実はエジソンは発明王と同時に『起訴王』としても知られていました。その異名の通りエジソンは生涯通じて発明に関する様々な争いに巻き込まれたのです。

次はそんなエジソンの生涯でも特に激しかった2つの戦争について見ていきましょう。

グラハム・ベルどの電話戦争

エジソンが30歳の頃、アメリカ最大手の通信会社であったウエスタンユニオンから電話の改良を依頼され、エジソンは早速電話機の実用化に向けて発明を行なっていきます。

しかし、この当時電話機は各地で開発が進んでおり1876年にはスコットランドのグラハム・ベルによって特許を取ったばかり。さらにこれに続こうと電話に関するいろいろな技術を編み出していき、特許の奪い合いや訴訟が巻き起こってこの様子はまさしく電話戦国時代といってもいいぐらいのものでした。

エジソンはそれでも電話に関する発明をやめようとはせず1877年にカーボンマイクを使った受話器を発明。これを早速特許庁に提出します。

しかし、この土壇場にてベルの開発チームの1人が先に特許庁に申請していたことが判明。エジソンのこの発明は無駄となってしまい、さらにはエジソンとウエスタンユニオンはベルに訴訟を起こされ敗訴。エジソンの電話の発明から撤退する結果となってしまいました。

ニコラ・テスラとの電流戦争

みなさん突然ですが、家庭で使用されている電流はどの形式でしょうか?いきなり聞かれてもわからないかもしれませんが、世界では電流というのは主に交流と直流が使われています。

実はその中の直流電流を支持していたのがエジソンであり、交流電流を支持していたのがニコラ・テスラでした。

ニコラ・テスラといえばテスラコイルにもその名が残されているのですが、このテスラコイルという代物は例えどんな電流を加えたとしても体には無害という驚きのコイルであり、このコイルこそが交流の最大のメリットでもあったんです。

エジソンが支持していた直流というものは簡単に言えば電圧が受け始めてからずっと同じ電圧をかけられエネルギーの強さを維持できるというメリットがあります。今でも直流はバッテリーとか乾電池なので使用されていますね。

しかし、直流はその電圧の一定さが仇となりとんでもないエネルギーの無駄が生じてしまい、さらにはコストもすごくかさんでしまうという最大のデメリットがあったのです。

このデメリットが決め手となりシカゴ万博やナイアガラの滝の水力発電において交流電流が採用されて以降、世界の電流はコストが安く安全である交流が支持されていくようになり、直流はあまり使われなくなってしまいました。

しかし、最近では直流電流の良さが見直されていき、現在では一定数の電化製品が直流電流を使用しています。

エジソンは偉大な発明家であり努力家だった

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エジソンは今にもつながる様々な発明を行い、世界中の人を驚かせてきました。しかし、その裏側ではエジソンの多大なる努力が隠れていたのです。エジソンの名言には『天才は1%のひらめきと99%の努力』というものがありますが、エジソンはまさしくそんな人だったのですね。

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