敗戦の中から立ち上がる日本~戦後復興期の流行歌~
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終戦を迎えた頃、人々は悲嘆と落胆に打ちひしがれ、焼け野原となった街の中で明日への希望を失いかけていました。しかしそんな中で人々の心を支え、希望をつないだのが歌謡曲だったのです。まだ暗い時代ではありつつも、歌は明るく寄り添い続けたのでした。
戦後と復興の象徴になった曲【リンゴの歌】
テレビドラマなどで終戦直後の日本が映し出されたときに、必ずといっていいほど流れる曲ですね。今の若い年代でも聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
歌っていたのは並木路子で、戦争で家族3人を失ったにも関わらず、その明るい歌声で人々の心を躍らせたのです。作曲家の万城目正が、「君一人が不幸じゃないんだよ」と彼女を優しく諭したおかげで、あの歌声が生まれたのだといわれています。
明日への希望を明るいリズムにのせて【東京ブギウギ】
これも戦後復興を象徴する代表的な曲ですね。発売された昭和23年当時、東京はまだまだ焼け跡や空き地も多く、人々は日々の生活に汲々としていました。そんな中、心躍るような明るいブギのリズムに乗せて、この曲が登場したのです。戦争で忘れかけていたものを思い出させてくれる、そんな華やかさがこの曲にはありました。
現在まで多くの歌手やアーティストたちがカバーしており、最近では【クリアアサヒ】のCMソングとしても流れていました。
昭和30年頃から昭和48年頃まで~高度経済成長期の流行歌~
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終戦からの復興を成し遂げた日本。朝鮮戦争による戦争特需から端を発した高度経済成長は20年以上も続き、ついには国民総生産(GNP)においてアメリカに次ぐ第2位となったのです。人々の生活は豊かになり、三種の神器といわれるテレビ・洗濯機・冷蔵庫が各家庭に急速に普及していった時代でした。
全米ビルボード第1位となった名曲【上を向いて歩こう】
昭和を代表する歌手の一人でもある坂本九が歌ったヒットソングですね。日本ではそこそこ売れたものの、ロカビリー風の曲調が高年齢層にはあまり受けず、それほど高い評価もされていなかったといいます。
たまたまアメリカのラジオDJがこの曲をリスナーに紹介し、すぐさまレコード化。反響が大きくなるや、あっという間にビルボードの第1位に躍り出たのでした。その後は4週にわたってトップを確保し、現在に至るまで日本人で唯一の全米第1位を獲得した名曲となったのです。
アメリカでは「SUKIYAKI」という曲名なのですが、レコード会社の社長が日本側と契約した際に、会食がたまたま【すき焼き】だったからだ。という話が残っています。(諸説あり)
300万枚も売れた大阪万博テーマソング【世界の国からこんにちは】
昭和45年に開催され、「人類の進歩と調和」を主題とした大阪万博のテーマソング。実は三波春夫だけではなく複数の歌手による競作だったのです。当時のそうそうたるアーティストに歌われていましたが、その中でも三波春夫の楽曲が最も売れたため、今や彼の代表曲の一つとなっていますね。
ちなみに競作とはいえ、一つの楽曲で300万枚ものシングルの売り上げは歴代第3位となります。ダブルミリオンどころかトリプルミリオンだったのですね。