平安時代日本の歴史

今こそ知りたい・意外と知らない「空海」の生涯と業績

多くの弟子たちに囲まれて入定

高野山に修行場を開き、真言密教の布教に力を注ぎ続けてきた空海は、承和2年(835年)、61歳でこの世を去ります。数年前から病を患っていたのだそうです。

亡くなる少し前、自身の余命を感じた空海は弟子を集め、遺告(ゆいごう)を伝えます。「自分が死んでも悲しまず、帰って仏法を信じなさい」という言葉が告げられたのだそうです。

当初は、空海の遺体は荼毘に付されたと伝わっていましたが、後に入定(にゅうじょう)と伝えられるようになりました。

入定とは、真言密教の修行のひとつで、死ではなく、弥勒菩薩が現れるまで(56億7千万年後)永遠の瞑想に入ることを言います。生きながらにして仏になること・即身仏とも。つまり空海は死んではおらず、今も高野山で瞑想していると言われているのです。

そうだったんだ!空海ゆかりの伝説・伝承がアツい!

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空海は唐から戻った後、全国各地を巡る旅を続けていたと伝わっています。そのため、日本各地には、空海が立ち寄ったとされるスポットがたくさん存在するのです。中には「湧き水を探し当てた」「温泉を見つけた」などの逸話も数知れず。数々の伝承が今も残り、多くの人々に慕われている空海伝説を厳選して3つ、ご紹介します。

高野山では1200年間ずっと1日2回の食事が運ばれている

先ほども少し触れたように、空海は火葬されたわけではなく、生きながら仏となり今も修行を続けていると伝わっています。

そのため、高野山では空海入定後からずっと、1日2回、空海の食事を用意。正式名称は生身供(しょうじんぐ)と呼ばれる儀式で、朝6時と10時半の2回、嵐の日も雪の日も、1200年ずっと続いているのです。

その様子は一般の参拝客でも見ることができるので、機会があればぜひ、見学なさってみてください。ただし、遠くからそっと、邪魔にならないように見るだけ、です。

空海が瞑想を続けている場所は、高野山奥之院。食事は御廟の手前で用意され、白木の箱に入れられて運ばれます。メニューはよくある精進料理で、ご飯と汁物、野菜のおかずが中心。肉や魚を使わないというだけで、メニューに決まりはないそうで、パンやスープといった洋食メニューのときもあるそうです。

空海が発見!?全国各地に残る空海ゆかりの温泉

空海は修行時代、全国各地を行脚したと言われています。空海(弘法大師)に関する伝説は、全国各地に点在。「弘法水」と呼ばれる湧き水は全国に千カ所以上あると言われています。弘法大師が杖をついたら水が湧いてきて井戸や池になった、というものですが、真偽のほどは定かではありません。

さらに、弘法大師が発見したとされる温泉も各地に存在しています。静岡県の修善寺温泉や和歌山県の龍神温泉などが有名。全国に30カ所以上あるそうですが、すべて本当に空海が立ち寄ったかどうか確かな記録がなく、確かなことは不明です。

空海は医学や薬学の知識を持っていました。そのため、立ち寄った土地土地で、具合の悪い人たちにちょっとしたアドバイスをしたことがあったかもしれません。温泉のように体の不調や傷の治癒に役立つものと弘法大師の名前が結び付いて、長く語り継がれていったと考えると、空海の開湯伝説が各地にあるのもうなずけます。

空海が伝えた!?香川県のソウルフード・讃岐うどんの不思議

讃岐うどんは空海が唐から持ち帰ったもの……。うどんの詳しい方なら一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

空海は唐から帰る際、うどんの製法技術や小麦を使った菓子なども持ち帰ったとされています。しかし、実際には、空海がこのような技術や情報を持ち帰ったという記録は見つかっていないようです。

残念ながら現時点では、この説には何ら根拠がないと言わざるを得ません。

香川県は空海生誕の地であり、空海崇拝の色濃い地域です。古くから、何かあるととりあえず弘法大師の影響、としておく傾向があったのかもしれません。

確かな根拠はありませんが、空海が香川にうどんを伝えたというほうが、歴史ロマンがあって、一層美味しく感じられるような気がします。

空海の足跡をたどる・四国八十八箇所巡りの旅

お遍路(四国八十八箇所巡り)とは、空海ゆかりの八十八ヶ所の霊場を巡拝することです。

四国には古くから、修験者の修行の道があり、若き日の空海もここを巡って修行をしたと言われています。空海の入定後、多くの修行僧が空海の足跡をたどる旅を始めたのだそうです。

現代では、僧侶だけでなく一般の人の間でもお遍路は盛んに行われています。健康祈願や縁結びなど様々なご利益を求めて巡るお遍路。巡礼者の持ち物のひとつである笠には「同行二人」の文字がありますが、ひとりは自分、もう一人は弘法大師のことなのだそうです。

札所と呼ばれる、お札をおさめる寺を巡りながら空海と二人で旅をする……そんな習慣が今も根強く残っています。

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