日本の歴史

これを見ればあなたもお城博士!?日本のお城の雑学について解説!

#5 お城はリサイクルされたもの!?

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今でも全国に数多くあるお城。しかし、戦国大名といえばというと城を建てる時には莫大な資材がないと建てられることができず、さらに、天守閣が造られるようになってからは尚更資材を用意しなければいけなくなりました。

そこで大名達は知恵を絞って資材をなんとか節約しなければいけなくなりましたが、そんな時に思いついたのが、城を取り潰す時に出来た資材をリサイクルしてそれを使って新しく作り直すという考えだったのです。

そんなリサイクルされた城の代表的なものといえばやはり国宝彦根城。

彦根城は江戸時代の初めに徳川四天王の1人と称えられた井伊直政の息子である井伊直継によって建てられた城なんですが、城を築城する際にもともと近江国にあって使われなくなった大津城から天守閣を、石田三成の本拠地であった佐和山城から櫓や石垣を、浅井長政の本拠地だった小谷城から西の丸を拝借。江戸幕府から西国の大名を監視する為になるべく早く築いて欲しかったからこんなことをやったそうですが、それにしたって借り過ぎだと思いますがね。

しかし、使われなくなった城を再利用することは今に繋がるエコ文化に一役買っているのかもしれませんね。

#6 なんで天守閣は12城しか現存していないの?

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日本のお城は今でこそ有名な観光名所として活用されていますが、実はそのお城の中でも建設当初から存在していた天守閣があるのはわずか12城のみ。

かつていたるところに林立していたお城が現存ではなぜ12城しかなかったのでしょうか?

実はその裏側にはいろんな政府による城の廃棄命令が原因だったのです。次はそんなお城のいろいろな苦難の歴史について見ていきましょう

お城最大の危機その1一国一城令の発令

お城が最初に危機を迎えたのは江戸時代初期。江戸時代に入ると戦乱はほとんどなくなり、お城の意義もかつての防衛拠点から地方の本拠としての役割に変わっていました。

そのため江戸時代初期には地方の本拠としてのお城を築き上げるためにお城の改築&建設ラッシュが相次ぎました。これを慶長の築城ラッシュとも呼んだりすることがありますが、この建設ラッシュによって今の姫路城の天守閣が出来上がり、さらには国宝になっている彦根城・松江城はこの時に築城されました。

しかし、これを危惧したのが徳川幕府。徳川家は「この建建設ラッシュによって徳川幕府に刃向かった時に立て篭もられたら困るなぁ。」と思い始め、そんな状況をなんとかするために徳川秀忠の代に出された武家諸法度により一国一城令が発令されました。

一国一城令とは呼んで字のごとく一国に一つの城しか認めないということ。つまりは本拠地以外の城を破却しなければいけなくなってしまったのです。その結果お城は全国に約3100あったのに、最終的には170に激減。95%を失う大打撃を受けてしまい、お城の意味もほとんど失ってしまいました。

お城最大の危機その2廃城令の発布

こうしてお城は170城に減らされましたが、これ以降江戸時代の期間はこのお城の数のままとなっていきます。しかし、そんな状況は長くは続かず、江戸時代が大政奉還によって崩壊するとお城の運命は大きく変わっていくことになってしまうのです。

江戸幕府を倒した明治天皇を中心とする新政府は日本を近代化していくためにいろいろな改革を実行していきます。

そんな中で出されたのが廃城令だったのです。廃城令とは簡単に言えば「重要拠点として使える城以外は全て破却すべし」というもの。つまり城をとり壊せという内容だったのです。これによって170あった城のうち萩城など140城が破却されてしまい、さらに、存続を許された城でも買い手がおらずそのまま天守閣が潰されてしまい学校や役所の用地になることもしばしばあったのでした。例えば今でこそ世界遺産に登録されており、世界中から観光客が訪れる姫路城でさえ、オークションに出された時にはわずか23円(今の価値でだいたい115万円)で競売に出されたとか。

それでも元々藩士で城に思い入れもあった人や地元の人たちが買い取って保存される事もあり、なんとか天守閣が存続された城も存在していました。

今お城の天守閣が観れるのも明治時代の民衆が必死になって頑張ってくれたからだと思うとなんかありがたいと思ってきますね。

お城最大の危機その3日本を襲った空襲

こうしてなんとか天守閣が存続された城が生まれていき、昭和時代に入ると現存している天守閣は20基となっていました。

しかし、お城のピンチはまだ終わりません。1942年から日本全体でお城どころの話では無くなってしまったのです。それこそがみなさんご存知アメリカによる空襲でした。

この空襲によって先ほど紹介した名古屋城や水戸城・大垣城・和歌山城・岡山城・福山城・松前城が消失。さらに広島城にいたってはその構内に広島大本営と呼ばれる軍の指揮系統があったことが災いとなり8月6日に原子爆弾が至近距離で投下され崩壊するという悲劇も起こってしまいました。

これによって20基あった天守閣のうち8基が消失。現在の12天守となり、現在へと至っているのです。

城は武士のシンボルだった

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戦国時代に始まり、武士の本拠地となったお城。かつては防衛拠点だったのが、今では世界中から沢山の観光客が訪れる観光地となり、日本のシンボルの一つになっているほどだとか。城は日本が誇る一つのシンボル。お城を観光する機会があればこの記事を踏まえて巡ってみるのはどうでしょうか?

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