「火事と喧嘩は江戸の華」の由来
江戸を表現することわざで知られているのが「火事と喧嘩は江戸の華」ですよね。確かに、江戸っ子は喧嘩っぱやく派手好きなので、非常に的を射た言葉です。では、このことわざを火事の現場目線で見ていきましょう。そこには火事に立ち向かった火消たちのドラマが見えてきます。
江戸の火事は庶民にとって一大イベント
江戸時代を通じて、江戸で起こった火事は大小合わせて1798回を数え、庶民にとって火事は当たり前のこと。季節の風物詩のようなものだったに違いありません。庶民の家屋も、現代の私たちから見れば、びっくりするほど簡素なもので建てられていました。なぜなら、火事で焼けても再建するのに簡単だったからです。
また、当時の庶民たちの家財道具の少なさも特筆されますね。家財道具が少なければ少ないほど持ち出しやすいですし、逃げやすいからです。
火事が起これば、比較的安全な高台や川の向こうへ人々は逃げようとしますよね。火事の様子や、火消しの活躍を見物する人も多かったそうです。特に大火の時などは、酒や食べ物を持ち寄って火事見物をし、燃える様子を紅葉になぞらえて【紅葉遊山】と呼んでいたとか。
こうした江戸庶民の火事見物が語源となって、「高みの見物」や「対岸の火事」といった言葉が生まれたのです。
町火消たちの防火ショー
町火消は、江戸市民の中でもとりわけ身が軽い鳶職(とびしょく)の者が中核を成していました。組織同士の対抗心が旺盛で、しかも荒っぽい江戸っ子気質であることもあって、喧嘩(けんか)が絶えなかったそうです。しかし、ひとたび火事の現場へ駆けつけるとなると、軽い身のこなしでテキパキと大声で指示を出し、火災に立ち向かっていく姿が、まるで「喧嘩のようだった」という記録があります。
そうした勇敢な姿は庶民から大変な人気があり、彼らの活躍を見るためにわざわざ火災現場へ行く野次馬も絶えなかったとのこと。そうしたことから、「火事に立ち向かう火消たちの喧嘩のような活躍は、まさに江戸の華だ」という評判になったのです。
ちなみに、加賀藩お抱えの【加賀鳶】という火消は、採用基準が非常に厳しく、絵本江戸風俗往来によれば「身長六尺三寸以上。顔色たくましく、力量すぐれし者を選びて鳶とす」とあります。190センチ以上の身長がないと採用されないということなのですね。当時の日本人男性の平均身長が150センチほどなので、その厳しさにはビックリ!
まさに、火消は庶民のヒーローだったのです。
防災意識を常に忘れないために
幾度となく火事に見舞われた江戸。現代に至るまでも、関東大震災や東京大空襲などの天災や戦災に見舞われ、そのたびに復興し、立ち上がってきました。そうした先人たちの教訓によって、現在の私たちの暮らしが成り立っているといっても過言ではありません。かつて江戸の人たちがそうしてきたように、私たちが防災意識をしっかり持って、不測の事態に備えることが肝要なのではないでしょうか。