ピラミッドにまつわる様々な謎
紀元前2世紀、古代ギリシアの学者で旅行家のフィロンという人物が、旅先で見た素晴らしい建造物を「世界の七つの景観」という書物にまとめています。日本では「世界の七不思議」と訳されることが多いですが、もともとの意味は「一度は見ておいたほうがいい素晴らしい建造物」という意味になるそうです。
フィロンが挙げたとされる建造物は、「ギザの大ピラミッド」「バビロンの空中庭園」「エフェソスのアルテミス神殿」「オリンピアのゼウス像」「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」「ロードス島の巨像」「アレクサンドリアの大灯台」(または「バビロンの城壁」)の7つ。紀元前には実在していたものと思われますが、現存するものは「ギザの大ピラミッド」ただひとつです。
7つ全てが現存していなければ、古代のファンタジーとして見ることもできますが、少なくともピラミッドは現在もしっかりと残っています。とすると他の6つも、2200年前には存在していたのでしょうか。いったいどんな建物だったのか、建造の目的は?どうやって造ったのか……。ピラミッドは、ピラミッド自体の謎だけでなく、他にも多くの謎を現代人に投げかけているのです。
王墓か天文台か堤防か…ピラミッドを築いた目的とは?
image by iStockphoto
ピラミッドとは、4500年以上も前の建物で、1000年ほどの限られた期間に建造されていて、巨石を何万個も積み上げて築いてあって、ナイル川の西側に建てられていて、精度が高い……。しかし、どうやって、何のために築かれたのか、未だ謎のベールに包まれています。何の目的で建てられたのか、代表的な説を見ていきましょう。
1)王墓説
長らく、エジプトのピラミッドは「王の墓」であると言われてきました。
しかし近年の研究で、別の場所で王の墓が見つかっていることや、ピラミッドの内部を調査してもミイラが見つかるケースが少ないことなどから、建造目的は他にあるのでは……との説も強まってきています。
ピラミッドは長期間、謎に包まれていました。そのため、学術的な発掘調査が行われるまでの間、正しく保全されていなかった可能性が高いのです。何者かが中身を持ち出した可能性は否定できません。
ただ、エジプトのピラミッドはナイル川の東側ではなく西側に集中していることを考えると、死者を弔う儀式や信仰と何らかの関わりがあることはほぼ、間違いないでしょう。
あるいは、目的はひとつではなく、権力者の墓として建てる場合もあれば、王を弔う儀式や祭礼のために建てられた場合もあったのかもしれません。
2)公共事業説
1974年、ドイツの考古学者メンデルスゾーンがこんなことを言い出しました。
「ピラミッドは職を失った農民たちに仕事を与えるための救済措置である」……つまり、ナイル川が氾濫すると農民たちは仕事がなくなり、不満や風紀の乱れにつながるので、程よく仕事を与えてゴタゴタが起きないようにするという、雇用を生むため国の政策のひとつだと言うのです。
ただ、メンデルスゾーンは、基本的にピラミッドは王のための何らか葬祭建造物であり、それを建てるために国中から労働力を集めることは国家の結束を強めることにもなるという意味で学説を説いています。そのため、あくまでも目的は他にあり、ついでに公共事業としての役割も果たしていたと考えていたようです。
ピラミッド建設の目的はひとつではなく複数あった……そう考えてもよいのかもしれません。
3)その他の説
「王のための施設・死を悼むためのもの」という説が有力ではありますが決定打とは言えず、ピラミッド築造の目的には未だ多くの仮設が立てられています。他にもたくさんあるとは思いますが、よく言われているものを一覧にしました。
●権力者が宝石や穀物などを保管する倉庫
●ナイル川が氾濫したときの堤防
●王の権力の象徴
●砂嵐を防ぐための防砂壁
●信仰儀式のための神殿/神社のようなもの
●日時計
●発電所
●宇宙との交信用
果たして、ピラミッドの謎がすべて解明される日が来るのかどうか、今後の展開に注目が寄せられています。
世界の七不思議のひとつ・ピラミッドの目的が解明される日は来るのか?
image by iStockphoto
30年ほど前、とある大手建設会社の広報誌に、現代技術でピラミッドを建てた場合の費用見積が載っていたのを思い出しました。費用は1250億円、工事期間5年。可能な限りの技術・機械を駆使して取り組んだ場合でも、莫大な費用と労力がかかると考えられます。300万個近い数の巨石を運んで積み上げるわけですから、技術が進歩した21世紀でも、かかる労力は大して変わらないかもしれません。何のために、どうやって建てたのか、深い謎に包まれたピラミッド。だからこそ余計に、多くの人をひきつけるのでしょう。
こちらの記事もおすすめ
古代文明は20以上あった!?知られざる「世界四大文明」の歴史 – Rinto~凛と~