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日露戦争後のポーツマス条約はなぜ不人気だった?わかりやすく解説

児玉源太郎の対ロシア戦略の勝利という噂

面白いエピソードがあります。日露戦争前に、当時の総参謀長だった児玉源太郎が、密かに当時のお金で100万円(現在の400億円程度)を明石陸軍大佐に渡した明石工作です。その資金は、ロシアの反政府勢力を支援したと言われています。そのことが、ロシア政府の弱体化を招き、ポーツマス条約を可能にしたと言われているのです。しかし、この話には政府の公式文書には記載されておらず、真偽のほどはわかりません。

小が大を制したが犠牲は大きかった_でもそこから得たものは大きかった

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日露戦争で大きかったのは、当時小国に過ぎなかった日本という国が、大国ロシアに勝利にしたという事実です。このことは、ヨーロッパ列強に植民地化され、支配されていたアジアのたくさんの民族に勇気を与えました。当時盛んになりつつあったベトナム、インドなどの独立運動に勇気を与えたのです。

また、いい、悪いは別にして、日本そのものにも、領土拡張という機会が大きく開けたことは大きかったと言えます。それを、自国の利益のみに使ってしまい、多くの支配地の人々の反感を買った行動には批判すべき点が大きいですが、日本が世界でも大国に数えられるようになったのも事実です。

時には決断も必要だが、準備は怠りなくやった結果がポーツマス条約

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日露戦争は、小が大を制した意味は大きく、多くの人に勇気と自信を与えました。その背景には、伊藤博文などによる準備が怠りなく行われたことがあり、ポーツマス条約に結び付いたと言えます。私たちも、時には困難な問題に対して決断をしないといけない時がありますが、用意怠りなく準備をして、決断することで良い結果をもたらしてくれることもあるのです。

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