「大航海時代」ってどういう時代?基礎知識をわかりやすく解説
インド航路の開拓とポルトガルのアジア進出
1497年、ヴァスコ=ダ=ガマは4隻の大型船を率いてリスボンを出発。一路、インドを目指しました。当時の航海は陸地を横目に見ながら行うのが普通でした。嵐などに遭遇した時にすぐに港に避難するためです。ガマは遠回りとなる沿岸航路を捨て、ヴェルデ岬から喜望峰まで最短距離で航海しました。
艦隊は大海原を三か月で突っ切り、喜望峰に到達。それから艦隊はアフリカ東岸を北上し、インド洋を横断。1498年、ガマの艦隊はインドのカリカットに到達しました。
インド航路を開拓したポルトガルは本格的にインドに艦隊を送り込みます。1509年のディウ沖海戦でポルトガルはイスラーム勢力に勝利。1510年にはインド西岸のゴアを占領しました。ポルトガルはゴアを拠点にアジアに進出していくのです。
この当時、ポルトガルの首都リスボンは繁栄を極めていました。今でも歴史な建築物が多く残り大航海時代の雰囲気を今に伝えています。
スペインによる“新大陸”の征服
大航海時代のころ、南北アメリカにはアステカ王国やインカ帝国が存在。アステカ帝国は現在のメキシコシティに都をおき、メキシコ中部を支配。独自の文明を作り上げていました。
1521年、コルテスはアステカの王であるモンテスマを計略を使って捕らえることに成功します。混乱に陥ったアステカ帝国はコルテスとスペイン人の前に屈服しました。
1533年、ピサロは南アメリカのインカ帝国の征服をもくろみます。ピサロは序盤の戦いでインカ皇帝アタワルパをとらえることに成功しました。彼は皇帝の身代金として大量の貴金属を要求。部屋いっぱいに黄金を運び込ませますが、皇帝は解放されません。皇帝はのちに処刑されてしまいます。
こうして奪った金銀はスペイン本国に運び込まれました。コルテスやピサロのような征服者たちをコンキスタドールとよびます。彼らが成功した理由は南アメリカに鉄の文化がなく、馬などの大型家畜がいなかったからでした。スペイン人たちは相手より優位な武器を効果的に使用することで征服者となったのです。
苦労の連続だった航海
大航海時代の船旅は苦難の連続でした。長期間の航海で健康を崩す乗組員が続出。特に、ビタミン不足による壊血病は多くの船乗りの命を奪いました。
また、狭い空間に閉じ込められているため仲間どうしの争いも絶えません。船長のリーダーシップが弱かったり配慮が不足するとしばしば反乱も起きました。
さらに、大航海時代の後半になると海賊も出現。航海の苦労に加えて敵船に備える必要も増えました。複数の船で編成される船団の場合、味方との連携も重要。当然のことながら帆船を操作する技術も必要です。
コロンブスやガマといった大航海時代に登場する偉大な提督・艦長たちはたくさんのスキルをを持つ魅力的な人物だったのでしょうね。
大航海時代の影響
ヨーロッパ人による世界進出は各地に大きな影響を与えました。それまで、各地域ごとでまとまっていた貿易活動が地域の枠を超えて世界全体でつながるようになったのです。また、南アメリカからヨーロッパに大量にもたらされた銀や農作物はヨーロッパ人の生活を大きく変化させました。
日本などアジアに及ぼした影響
ポルトガルはインドのゴアを拠点にアジア進出を進めます。1511年、ポルトガルは貿易の重要拠点である東南アジアのマラッカを占領。1557年には中国南部のマカオで居住権を獲得し貿易をさらに発展させます。
また、1543年にポルトガル船が種子島に漂着。これにより日本に鉄砲が伝わり、その後の戦い方が大きく変化しました。イエズス会のザビエルが日本にやってきてキリスト教を布教したのもこの時期です。
日本の戦国大名たちはポルトガル・スペイン(南蛮人)との南蛮貿易を開始。戦国大名たちは南蛮人から鉄砲や火薬を買い、銀を支払いました。戦国大名たちは彼らを迎え入れるため積極的にキリスト教を受容。イエズス会士らにキリスト教の布教を許可し、セミナリオという神学校やコレジオという宣教師養成学校の建設を許可した大名もいます。
中には、大友宗麟のようにヨーロッパに施設を派遣する戦国大名も現れました(天正遣欧使節)。こうして、日本とヨーロッパは結び知己を深めていったのです。
ヨーロッパで商業革命と生活の変化が起きた
大航海時代より以前、香辛料などのアジアの物産はオスマン帝国のイスラーム商人がヨーロッパへと運びました。大航海時代以後はヨーロッパ人が直接アジアと貿易をします。
また、ヨーロッパ人はアフリカ・アメリカ大陸などと三角貿易を行いました。ヨーロッパ人は武器をアフリカに持ち込みます。アフリカの国々は買った武器で戦争し、負けた部族の人々を奴隷として売り払いました。奴隷を買い付けたヨーロッパ人たちは南北アメリカに奴隷を連行。奴隷たちは南北アメリカの農園で働かされました。
南北アメリカの農園でとれた砂糖や綿花、タバコなどはヨーロッパに運ばれます。こうした貿易はヨーロッパ、特に海外に船出しやすい大西洋沿岸の国や商人たちに莫大な富をもたらしました。
アメリカ産の農作物がヨーロッパに入ることで生活が変化します。特に、ジャガイモやトウモロコシは食生活を一変させました。ジャガイモは寒さに強いためヨーロッパ農民たちにとってとても大事な食糧となっていくのです。しかし、貿易ルートから外れた北イタリアの都市は徐々に衰えていきました。