ベルリンの壁の崩壊 そして統一へ
そしてこの放送を聴いた東ドイツ国民は我先にと国境に集結。国境の警備がまだ甘かったため国境警備隊はこの様子をただ眺めることしかできませんでした。そしてついに10日になった直後全ての国境のチェックポイントが解放。ついには興奮冷めやらない国民たちがこの報道によってもう不要になったベルリンの壁によじ登り、ピッケルを使って壊し始めます。このピッケルのシーンはテレビで一回は見たことがあるはずです。
こうしてもう意味のなくなったベルリンはこの日を境に撤去が開始。さらに東ドイツと西ドイツの国境も解放され、ついに完全に壁は崩れ去りました。そしてベルリンの壁から一年経った1990年には東ドイツは独裁体制が崩壊し、ついに10月3日に西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一。ドイツの旗が掲げられ、45年ぶりにドイツは一つになったのでした。
ベルリンの壁の意義とまとめ
ベルリンの壁の意義はヨーロッパにおける東西冷戦の象徴として世界に示していました。しかし、ベルリンの壁が崩壊するとその直後にマルタ会談が行われ、冷戦自体も終結したのです。ベルリンの壁の建設によって冷戦が激化し、ベルリンの壁の崩壊によって冷戦は終わりを迎えたのでした。
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