意外な語源を持つ日本語12選(ポン酢、ズボン、ハブるetc…)
#7 ロシア語語源「イクラ」! イクラだけがイクラじゃない!?
食感がぷちぷちとして独特で、お寿司のネタとしても人気の高い「イクラ」。イクラの語源は、なんとロシア語です。ロシア語「икра(イクラー)」の意味は、「魚卵」。日本語でイクラといえばサケ科の卵だけを指しますが、ロシアにおいては魚卵なら全てが「イクラ」。サケのイクラは「赤いイクラ」、キャビアは「黒いイクラ」と呼び分けているそうです。
「イクラ」の伝来時期については諸説がありますが、日露戦争時、ロシア人がキャビアの代わりとしてイクラを製造したことに始まったと言われています。粒状になったサケの卵を「イクラ」と呼ぶロシア人。それまでの日本では「すじこ」と「イクラ」が区別されておらず、「イクラ」という言葉が入ってきたことによって区別が始まったようです。大正時代にはロシアから樺太にイクラの作り方が伝わり、当初は塩漬けが作られました。現在は醤油に漬けたものが一般的になりましたね。
#8 オランダ語語源「ポン酢」! 「酢」は「酢」ではなかった
肉、野菜、豆腐、なんにでも合って食卓で大活躍の「ポン酢」。特に鍋物にはかかせませんよね。「ポン酢」の「酢」はあのすっぱい酢かと思いきや、実は違いました。「ポン酢」の語源は、オランダ語の「pons」です。さらにさかのぼると、ヒンディー語の「panc」が「pons」のもとになっているとのこと。このポンスは、昔のオランダ語で柑橘類の果汁を使ったカクテルのことを指していました。
オランダは鎖国下において交流があった数少ない国のひとつであることから、その時期にいろいろな文化や言葉が入ってきたのですね。「ポンス」は19世紀後半になるとお酒ではなく、柑橘系果実をしぼった汁自体を指すようになります。当初は薬用として販売されていたそう。現在私たちが思い浮かべる「ポン酢」は、ポン酢に醤油などを加え味付けをほどこしたものです。
#9 オランダ語語源「ブリキ」! おもちゃでおなじみ
現代ではあまり見ることのなくなったブリキのおもちゃ。しかし今でもコレクターが存在しており、その魅力が衰えることはありません。おもちゃだけでなく、缶詰の缶もブリキでできているんです。そんな「ブリキ」の語源はオランダ語「blik」だと言われています。「blik」は「缶」や「板金」という意味。そして「ブリキ」に漢字で書くイメージはあまりないかもしれませんが、実は「錻力」などの漢字が当てられているんですよ。
ブリキはそもそも、錫(スズ)を使って鋼板にめっきを施したもの。錫が使われることで錆びにくい特徴を持つため、缶詰の缶に用いられるそうです。なお、錫ではなく亜鉛をめっきしたものが「トタン」。こちらは建物を作る際、屋根などによく使用されますね。
もともと日本語だけど、意外な由来があった言葉
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さて、ここからは外国語由来の言葉ではなく、日本語を由来とする言葉。日本語由来の言葉ならそんなに珍しく感じるものはないだろう、と思うかもしれませんが、そんなことはありません。意外なものを由来としていることも多いのです。
#10 「こんにちは」の語源は「太陽」! 挨拶の後には文章が続いていた
毎日のように使う、「こんにちは」という挨拶。現在は「こんにちは」単体で使われますが、もともとは「今日は、良いお日柄ですね」などと後に文章が続けられるものでした。だから、「は」を「wa」と発音しているのです。ちなみに別れの言葉である「さようなら(然様なら)」の後にも、言葉が続けられていました。
そしてさらに哲学者・境野勝悟氏によれば、「こんにちは」にはもっと根底的な語源があるとも考えられています。昔の言葉で、「太陽」のことを「今日様(こんにちさま)」とか、「こんにっさん」と呼んだそうです。夏目漱石著の小説、『坊っちゃん』の本文中にも「今日様」という表現が出てきます。「こんにちは」という挨拶は、太陽に対する呼びかけだったとも考えられているのです。
▼詳しくは下記より
「こんにちは」と「お母さん」は同じ語源だった。意外な日本語のルーツ – まぐまぐニュース!
私たちが普段何気なく交わしている「こんにちは」「お元気ですか?」という挨拶には「太陽」が大きく関係していることをご存知ですか? メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の著者・伊勢雅臣さ…
#11 「ハブる」の語源は「村八分」! 静岡県の方言が由来の可能性も
「ハブる」といえば中学生など比較的若い人が使う言葉で、最近使い始められたイメージがあります。しかし、この言葉の語源は「村八分(むらはちぶ)」。「八分」の部分から「ハブ」が来ているのですね。また、静岡あたりの方言で「はぶせ」というものがあります。これには「仲間外れ」という意味があり、こちらが語源になったという説も。
村八分とは、主に江戸時代におこなわれていた日本の風習。何か村の掟に反した村人を、ほかの村人全体で仲間外れにする、というものでした。具体的には、村人同士の付き合い全部を十として、そのうち八分しか付き合わないのです。残りの二分は「葬式」と「火事の消火活動」でした。