幕末日本の歴史明治明治維新江戸時代

西郷隆盛に影響を与え共に生きた5人の人々について解説

【征韓論】

明治初期、日本が欧米各国に対して広く門戸を開いたものの、江戸時代より修功があった朝鮮とは逆に疎遠となり関係が悪化してしまうことに。そこで明治政府は居留民保護の名目で使節を派遣しようとするが、「使節を派遣すべきではない意見」と「派遣するべき意見」とが真っ向から対立。結局、西郷や江藤新平、板垣退助たちが政府から下野してしまうことに。

南の島で共に暮らした最愛の妻【愛加那】

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安政の大獄後に、西郷は幕府の追求から逃れるために3年間を奄美大島で過ごしました。そこで出会ったのが現地妻となる愛加那。大河ドラマでは二階堂ふみさんが演じられてましたね。薩摩藩の藩法で薩摩へ連れ帰ることはできませんでしたが、奄美で過ごした時が西郷にとって最も平和で幸せだったのかも知れませんね。

奄美大島での幸せな日々

当時から奄美大島はサトウキビの一大産地であり、そこから精製される黒砂糖によって薩摩藩は莫大な収入を得ていました。しかし島民に対する搾取は凄まじく、「黒糖地獄」とも呼ばれていました。いくらサトウキビを作っても彼らの収入には一切ならず食べるにも事欠く有様でした。現在、奄美にソテツが多いのは食糧の代用として植えられたもので、そうまでしなければ生きていけなかったことに起因します。

そんな時に西郷が島にやって来たのですね。島の惨状を目の当たりにした西郷はカルチャーショックを受けます。ノルマを達成できなくて島役所に拘束され、拷問を受けていると聞いた西郷は居ても立っても居られず役人に談判。最初は相手にしなかった役人ですが、西郷のあまりの剣幕にたじろいで島民を解放してしまう。そんな逸話も伝わっていますね。

そうして島民たちと打ち解け合い、親交を暖め合うようになった西郷ですが、身の回りの世話をしていた龍家の娘愛加那と恋仲になり、程なく結婚しています。子供は菊次郎と菊草の二人ができますが、とても仲睦まじいものだったそうですね。

西郷との再会と別れ

しかし、幸せな生活も長くは続きませんでした。鹿児島より召喚の命令が届いたのでした。西郷は形見のつもりで自分の髪を愛加那に渡し、別れを惜しんだといいます。

その後鹿児島へ戻った西郷は、国父の久光と対立して徳之島へ流罪の処分を受けることに。そして徳之島へ着いた当日、偶然にも長女の菊草が生まれました。「徳之島に西郷がいる」と伝え聞いた愛加那は子供たちを連れて奄美から会いに行くことに。ここで菊草は初めて父と対面を果たしたのですね。しかし、西郷にはさらに遠い沖永良部島への流罪が申し付けられることになりました。

さらに2年後、やっと赦免を受けた西郷は鹿児島への道中、奄美へ立ち寄り、久しぶりに家族との再会を果たしています。そしてこれが家族水入らずで過ごす最後の時となったのでした。その後、明治になって二人の子供たちは鹿児島に引き取られてそれぞれの人生を歩みますが、愛加那は亡くなるまで奄美を離れることはありませんでした。

西郷の最期を見送った妻【西郷糸】

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西郷は、沖永良部島から鹿児島へ帰還した約1年後、家老小松帯刀の媒酌で再婚しました。お相手は薩摩藩士岩山家の次女の糸です。西郷の三番目の妻ということになるのですが、幕末から明治の激動期を西郷と共に生きた人なのですね。

西郷家を支える糸

糸自身も再婚で、いきなり大家族である西郷家の家計をやり繰りするのは大変だったようです。何せ、西郷家は明治になるまで借金漬けだったといいますから、その苦労が偲ばれるというもの。

薩長同盟に関連して、坂本龍馬なども西郷家に出入りしていたそうで、龍馬の姉乙女への手紙の中で西郷夫妻のことを大いに褒めていますね。妻のお龍のことを西郷夫妻に頼めば、きっと悪いようにはしないと書いています。

是から又春になれバ妻ハ鹿児島につれかへりて、又京師の戦はじまらんと思へバ、あの方へも事ニより出かけて見よふかとも思ひよりマス。私し其内ニも安心なる事ハ、西郷吉之助の家内も吉之助も、大ニ心のよい人なれバ此方へ妻などハ頼めバ、何もきづかいなし。

慶応二年十二月四日 坂本乙女宛て

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