室町時代戦国時代日本の歴史

どうやって落とすの?知る人ぞ知る日本が誇る難攻不落の名城4選

【難攻不落の城・その3】忍城(埼玉県)

豊臣秀吉の天下統一事業の総仕上げ、小田原城攻め。結局、小田原城は兵糧攻めによって陥落し、小田原北条氏は滅亡しました。そして同時に、関東一円にあった北条氏の支城も次々と陥落していきました。しかし、小田原城が落城したのに、まだ抵抗を続けた城がこの忍城です。

秀吉の家臣・石田三成は、この忍城をお得意の「水攻め」で一気に落とそうと画策します。しかしこの城はもともと湿地帯にあり、守り手は水攻めを予測して対応済みでした。そして三成は攻めあぐね…まさに最後まで落ちなかった城ですね。

【難攻不落の城・その4】大坂城(大阪府)

この城は多くの方がご存じかと思います。太閤秀吉がその威信をかけてつくった城ですね。結局、城は大坂夏の陣で陥落してしまうのですが、それは家康が堀を埋めてしまい※1、裸城同然になったところを攻撃したから。

もし「秀吉仕様」のままだったら、落城まではかなり長引いたか、もしくは落ちなかったかもしれません。ちなみに、真田幸村(信繁)が出城として使った「真田丸」の跡は、今もひっそりと整備されて神社とともに残っています。

大坂冬の陣・夏の陣…1614年~15年にかけて起こった、徳川家康と豊臣家との戦い。最初の「冬の陣」では、家康は大坂城を攻めあぐね、一旦豊臣家と講和を結びます。しかしその後講和が破綻。「夏の陣」で豊臣家は滅亡しました。歴史上、この戦いの後は天下泰平の江戸時代になっていきます。

実戦で使われなかった難攻不落の名城たち

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難攻不落を誇る名城は他にもありますが、結局実戦では使われなかった城も多くありました。また戦国武将・加藤清正が築城した熊本城は、戦国時代には実戦使用されなかったものの、なんと数百年後の明治時代になってから実戦に用いられました(西南戦争)。しかもその際に西郷軍から城を守り抜き、その威力を発揮したのです。

難攻不落の名城には、ひとつの共通点があります。それは、それぞれの城の作り手が「どうしたら敵を防御できるか」ということを考え抜いてつくっているということ。そのような視点を持って施設を訪ね、城巡りをしてみるのも面白いかもしれませんね。

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