日本の歴史江戸時代

江戸時代の「鎖国」体制ー経緯や実態・メリットは?わかりやすく解説

・江戸時代は260年ほど続いた長期政権
・ヨーロッパは、スペインとポルトガルが2強である大航海時代、キリスト教は植民地化の足掛かりとされる
鎖国政策によりキリスト教を締め出すことに成功、海外からの侵略を免れ、安定した政権を維持するのに一役買った

花開く日本の伝統文化ー鎖国体制によるメリットその2ー

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さて、鎖国体制におけるメリットの1つとして、江戸幕府の長期安定化が可能となったことをお伝えしました。政権が安定することにより、経済は発展し、町もにぎわいます。町がにぎわえば文化も発展する。特に、江戸時代は町人文化が花開いたことも有名ですよね。

江戸時代に生まれた文化の中には、現在も伝統文化として受け継がれるものが多数。この章では、江戸時代の文化について見ていきましょう。

上方で栄えた元禄文化

江戸時代における文化と言えば、元禄文化化政文化が有名なところ。まずは、元禄文化から見ていきましょう。

元禄文化は、17世紀後半から18世紀初めにかけて栄えた文化です。5代将軍である徳川綱吉の時代ですね。担い手は、京都や大阪という上方の町人。町人と言っても、豪商と呼ばれる上流階級の町人の文化なんです。ちょうど産業が発達し、経済が発展して裕福になっていく時期ですね。

元禄文化の時代に現れた有名人は多くいますが、松尾芭蕉は俳諧の有名人。現在の俳句の源流となったのは、松尾芭蕉の俳諧です。かつて和歌や連歌と呼ばれるものはありましたが、上流階級の貴族たちが楽しむためのもの。それが庶民の生活にも広がっていくというのはすごいことだったのです。そして、与謝蕪村、小林一茶と後に続いていくんですね。

他にも、文学では『好色一代男』『日本永代蔵』で知られる井原西鶴浮世草子というジャンルを確立した人物として有名ですね。

人形浄瑠璃や浮世絵も元禄文化生まれ

続いて挙げるのは、近松門左衛門人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いた人物です。『曽根崎心中』など、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。現在、歌舞伎としても演じられていますが、もともとは人形浄瑠璃の脚本でした。人形浄瑠璃は、人形芝居と三味線の音楽が融合したもので、元禄時代に生まれたものなんですね。

絵画の分野では、浮世絵は外せないでしょう。
菱川師宣がこの時代、浮世絵を確立しました。みなさん、「見返り美人図」は、彼の代表作ですね。
浮世とは「現世」、つまりわたしたちが生きる「この世」のことを指します。浮世絵は、当時の庶民の生活の様子を描く絵ということになりますね。もともと挿絵だったものから、1枚の絵画としての価値を持ちました。木版画の技術が発展したこともあり、庶民が絵画を容易く楽しめるようになったことで、浮世絵は大人気となるんですね。

また絵画分野では、尾形光琳など多数の人物が活躍しました。彼の晩年の作品である『紅白梅図屏風』は、国宝と指定されて現存しています。

江戸時代後期は化政文化が栄える

さて、元禄文化が江戸時代初期に栄えたとお伝えしましたが、後期は江戸を中心に、化政文化が花開きます。元禄文化と異なり、当時の政治や社会を風刺したり皮肉ったり。一般庶民に広く浸透したのも、大きく異なりますね。この頃には、外国船が日本に近づき、鎖国体制や幕藩体制も終わりに向かっていく時期にさしかかるので、そういった背景も影響しているでしょう。

この時代の浮世絵師と知られるのは、歌川広重葛飾北斎ではないでしょうか。『東海道五十三次』『富嶽三十六景』はよく知られていますね。浮世絵は海を越えて、西洋の画家のゴッホなどにも影響を与えています。滑稽本の作者として有名な十返舎一九。日常生活を面白おかしく描いた滑稽本は、江戸の町で大人気だったんですね。
俳諧で有名な、与謝蕪村小林一茶が活躍したのもこの時代。また、歌舞伎が江戸で栄えるようになったのも化政文化の時期なんですね。鶴屋南北『東海道四谷怪談』では、尾上菊五郎市川團十郎などの歌舞伎役者が演じて、人気を得たと言われています。

・日本独自の文化が花開いた江戸時代、元禄文化化政文化が有名
俳句人形浄瑠璃浮世絵が確立される
・一般庶民まで文化が浸透し、現在の日本伝統文化の基盤ともなる

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みほこ