鎖国の実態は、明の海禁政策のようなもの
そのようなわけで、鎖国体制下も、完全に海外との貿易を断ち切っていたわけではないことがわかりました。それぞれの口から情報や物資を得ていたわけですね。
そもそも「鎖国」という言葉は、江戸時代の蘭学者である、志筑忠雄が翻訳の際に使用したものです。開国という言葉と対応する形で、歴史用語として使われていき、定着することとなるのですが、実態は「鎖国」という言葉とは似て非なるもの。中国の明時代の海禁政策のようなものと捉えるほうが自然でしょう。海禁政策は、貿易や渡航を制限して政府の支配下に置くものです。
言葉だけが先歩きし、国を閉ざしてしまったと考えられていましたが、現在はこれらの研究の結果が、ようやく学校の教科書に反映されてきたわけですね。だから、「鎖国」という言葉を消す、消さないの議論が起こったのです。
余談ですが、学説で一般的になったことも教科書に反映されるには、数十年かかると言われています。それを考えると、学校で教わってきた歴史は、すでに古いものなのかもしれませんね。
・鎖国と言っても、「四つの口」と呼ばれる外国に開かれた窓口があった
・オランダと中国は長崎口、朝鮮とは対馬口、アイヌとは松前口、琉球王国とは薩摩口(琉球口)
・長崎以外は、各藩が貿易を独占していた
・「鎖国」という言葉は、志筑忠雄が翻訳した言葉であり、実態は明の海禁政策に近いもの
長期安定政権となった江戸幕府ー鎖国体制によるメリットその1ー
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鎖国までの流れと実態のお話が長くなりましたが、ここからは「鎖国」体制をとることによって、日本はどのようなメリットを得たのかを紹介していきますね。「上記でさんざん『鎖国』の実態を述べてきたのに、ここで『鎖国』という言葉を使うの?」と思うかもしれませんが、便宜上、ここでは「鎖国」という言葉を使用します。どうかご了承くださいね。
江戸時代は世界でも類を見ない長期政権
武家が幕府を開いたのは、源頼朝の鎌倉時代ですが、そこからの時代をカウントすると、鎌倉時代が約150年、室町時代は実質約60年で戦国時代に突入、織田信長と豊臣秀吉の安土桃山時代は約30年。江戸時代は260年ほど続いたというと、大きな差があることに気づきますね。
鎌倉時代も長いと思われますが、源氏の統治の後は、北条氏が実権を握るなど中身は安定していたとは言えません。ですので、徳川氏がこれほど長く政権を維持し、安定した世の中を築いたというのは、とてもすごいことなんですね。
その理由はさまざまあり、身分秩序の統制、幕藩体制の強化など要因が挙げられますが、鎖国をすることにより、海外からの侵略を免れたことも一因です。
キリスト教布教は植民地化の第一歩
海外からの侵略を逃れたとは、つまり植民地化を防いだということですね。この頃の世界情勢を見てみましょう。
江戸幕府初期は、ヨーロッパの大航海時代にあたりますが、15世紀半ばから17世紀ごろは、ヨーロッパの国々が世界の海に繰り出したころ。アフリカやアメリカ、アジアへと向かっていくのですが、この当時の2大勢力がスペインとポルトガル。この2国によって世界を2分割し、それぞれ西と東に分かれて航路をとりながら、植民地化政策を進めていくんですね。
その植民地化の下地となったのが、キリスト教と言われています。
歴史を見ていくとわかりますが、植民地化していく上では思想の統制が欠かせません。現に、第二次世界大戦時における日本と韓国を見ていくとわかるのですが、反乱を起こすのを防ぐために、日本語や日本思想の教育が行われています。キリスト教という宗教を、植民地化をする上で思想統制に利用するというのは、自然な流れなんですね。
植民地化を免れた一要因としての鎖国体制
日本はキリスト教を禁止し、スペインやポルトガルといった国々を締め出しました。これによって、植民地化を免れたという側面も考えられるんですね。海外からの侵略を防ぐことは、政権を安定させる要素の一つとなり得るわけです。
日本では九州を中心に、キリスト教が広まり、キリシタン大名なるものも多く誕生しましたが、日本は古来より多くの神がいるという多神教の国。ですので、当時、キリスト教を禁止しなかったとして、一神教のキリスト教が果たしてどこまで浸透したのか、植民地化に有利になるほどキリスト教勢力が拡大したのかは、議論の余地があることを、あらかじめお伝えしておきますね。