日本の歴史明治昭和

5分でわかる「野口英世」日本が世界に誇る細菌学者の生涯・功績をわかりやすく解説

4-2英世アフリカへ行く

西アフリカで黄熱病が猛威を奮い、ロックフェラー研究所もナイジェリアのラゴスに研究班を派遣します。その内の一人で同僚のストークス氏が、黄熱病で逝去したのです。野口ワクチンは、アフリカでは効き目がありません。実は、南米での英世のワクチンは、黄熱病ではなくワイル病のワクチンだというのです。

「そんなことがある物か!」と昭和2(1927)年に、周囲の反対を押し切ってアフリカへ向かいます。400匹以上のサルを使い、6ヶ月もの歳月をかけ研究を続けました。

4-3英世逝く

研究結果を出せないまま、英世も黄熱病に罹ります。その10日後の昭和3(1928)年51歳で、「私には、分からない。」との言葉を発し黄熱病により殉職しました(一説によると、死因はアメーバ―赤痢とも)当時は、電子顕微鏡も発明されておらず、病原菌の発見は皆無だったのです。「私には、分からない」は、当然のことでした。

彼の逝去は全世界に報告され、彼は6月15日にニューヨークのブロンクス区にある、ウッドローン墓地に埋葬されました。英世の功績を讃え、勲2等旭日重光章が送られています。

人生において失敗や間違いの多い人物ですが、医学者として細菌と格闘し世界を救った偉人

Hideyo Noguchi Grave 1024.jpg
Anthony22投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

彼の名言の中に、「努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。」があります。黄熱病での英世の研究は失敗でした。他にも、誤りだった研究は多くあります。でも、毒蛇血清の基礎研究と梅毒スピロヘータの発見、ワイル病の収束で功績をあげたのは事実です。現に私たちは、「世界のノグチ」と呼ばれた英世に、勇気を貰っているのではないでしょうか。

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