平安時代日本の歴史

5分でわかる平安末期に起こった内乱「平治の乱」藤原の陰に源平あり?わかりやすく解説!

1159年「平治の乱」の流れと結末とは

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朝廷内での権力争いに端を発した「平治の乱」。主軸となったのは、後白河天皇の院政。これに摂関家である藤原氏などが絡んで、よくある権力争いの一幕ではあったのですが、ここに平清盛や源義朝が加わったことが、後の日本の歴史に大きな影響を与えていきました。「平治の乱」の勝敗の行方は?順を追ってたどっていきましょう。

崇徳上皇VS後白河天皇!1156年「保元の乱」勃発

まず、保元1年(1156年)、「保元の乱(ほげんのらん)」が起きます。

この争いの中心となっているのが、崇徳上皇と後白河天皇による後継者争いです。

この二人は兄弟ですが、崇徳天皇が上皇になって院政をやろうとしていたところに後白河天皇がさっと即位してしまい、自分の息子を天皇にすることができなかったため、争いが起きてしまいます。

そして天皇家と外戚関係を持ち、強い権力を保っていた藤原氏の中でも、藤原頼長と藤原忠通という兄弟が権力争いに明け暮れていました。

京都はピリピリ状態。崇徳上皇側について藤原頼長と、後白河天皇側についた藤原忠通。両者とも、政治的な駆け引きだけではどうにもならず、とうとう武力行使が始まります。これが保元の乱です。

このとき活躍したのが武士たち。特に名を挙げたのが、後白河天皇側についた平清盛と源義朝でした。

後白河天皇の勝利!信西の執政と平氏一門の台頭

朝廷も摂関家も有力武士も、親兄弟真っ二つに割れて争いあった保元の乱。しかしふたを開けてみればあっけないもので、わずか1日ほどで決着がつきます。

結果は後白河天皇の勝利。敵の圧倒的な兵力の前に、崇徳上皇は敗走を余儀なくされます。

後白河天皇は、自分の地位と政権を確固たるものにするべく、信西(しんぜい)という人物を側近に。もともと藤原一族の人で、非常に頭の切れる有能な人物だったのだそうです。

天皇の信頼を得て、様々な政策を打ち出す信西。

しかし、内乱直後で何かと不安定な時代。こうした政策を実行するには、時には武力も必要です。

そこで信西が重用したのが、あの平清盛でした。清盛はその期待に応え、成果を上げるとともに朝廷内で大きな権力を握っていきます。

朝廷の後継者争いが、武士たちの武力によって動かされる……そんな時代がやってきたのです。

平氏との格差に悩む源義朝……「平治の乱」勃発!

信西の政治は大きな成果を上げますが、一方で朝廷内に不満分子を作ることにもなりました。後白河天皇をさっさと引退させて息子の二条天皇を即位させたい一派や、平氏をよく思わない貴族たちなど。こうした「反信西派」が影響して、平治の乱が始まったと考えられています。

信西とともに、朝廷内で大きな権力を握っていた美福門院(びふくもんいん)の一派もそのひとつ。美福門院は後白河天皇の父にあたる鳥羽上皇の后で、後白河天皇を退け二条天皇を即位させようと暗躍していました。

一応、信西と美福門院の間で話し合いが行われ、保元3年(1158年)、二条天皇の即位が決まりますが、それぞれの派閥の対立を悪化させることとなり、京都は再びピリピリ状態に陥ってしまったのです。

そしてもう一人、現状に不満を持つ者がいました。源義朝です。

源氏は平氏とともに保元の乱で活躍したにも関わらず扱いは低いまま。信西をよく思っていなかったといわれています。

そして平治元年(1159年)12月9日、平清盛が京都を離れたスキに、源義朝は行動を開始。後白河上皇の側近だった藤原信頼らとともに院御所に踏み込み、信西を襲撃したのです。

平家にあらずんば……清盛時代の到来

信西への不満がうごめく都で、とうとう行動を起こした源義朝。源氏の時代到来か?しかし、平清盛のほうが一枚も二枚も上手でした。

すぐに源氏討伐に動くこともできましたが、清盛は情勢を見極めます。

清盛の狙いは源義朝であり、その背後にいる藤原信頼です。後白河上皇と敵対関係にあるといっても、二条天皇と争うつもりはありません。

そこで時間をかけて根回し。藤原信頼に接近して味方になったと思わせ油断させ、その裏で二条天皇派の貴族たちへのも目を配ります。清盛の根回しによって、クーデターを起こした英雄から信西殺害の首謀者としてお尋ね者に陥落してしまった藤原信頼。これは源義朝も同様。信頼、義朝両名に対し、討伐の命が下ります。主導はもちろん、平清盛です。

信頼は処刑され、義朝は敗走の後殺害。こうして、平治の乱は幕を下ろします。

平治の乱の後、都はどうなったのでしょうか。

朝廷はもう、武力なしに物事を治めることができなくなっていました。とすると、源氏はもういないので、頼れるのは平氏、ということになります。

平清盛は朝廷から独立して大きな権力を握り、武力だけでなく地位も財力も持つように。朝廷も貴族たちも、もう、平清盛なしに政治を行うことができなくなっていくのです。

平家の台頭と武士の時代の到来・知れば知るほど面白い「平治の乱」

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平安時代というと優雅でおっとりとしたイメージがありますが、ところがどっこい、勢力争いや駆け引きが行われ、かなりスリリングな時代だったと思われます。平清盛がなぜあんなに権勢を握っていたのか、武士の時代がどのようにして始まったのか、「平治の乱」の顛末を見るとよくわかるところも非常に興味深いです。この後も朝廷の内乱は続きますが、地方豪族たちが力をつけ、鎌倉幕府、室町幕府が誕生し、やがて戦国武将が台頭……。「平治の乱」はその後の日本を大きく動かす源となった出来事だと言えるでしょう。

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