1000年続いた帝都「コンスタンティノープル」の歴史とは?わかりやすく解説!
コンスタンティノープルからイスタンブールへ
再び東ローマ帝国の首都となったコンスタンチノープルでしたが、この頃には東ローマ帝国はコンスタンチノープル周辺しか統治しておらず、東ローマ帝国ではなくビザンツ帝国と呼ばれることになりました。
コンスタンチノープルはその後周辺諸国から圧迫を受けることになるのですが、特に東のアナトリア半島から生まれたオスマン帝国が攻撃を与えていくことになります。
そして14世紀になるとコンスタンティノープルはオスマン帝国軍に度々包囲。大城壁があるおかげで陥落こそはしないもののほとんど領土を失ってしまった東ローマ帝国の命運は風前の灯火となってしまいます。
しかし、コンスタンチノープルはギリシャ正教会とビザンツ文化の中心地としての意義は持ち続けており、中心地として機能はしていました。
そしてついに運命の瞬間が訪れます。1453年4月にスルタンであるメフメト2世がコンスタンチノープルを陥落させてビザンツ帝国に引導を渡すために10万の精鋭の軍隊を率いてコンスタンティノープルを包囲。
オスマン帝国軍はこの頃の最新武器である大砲などを使って大城壁を破壊しようと試みます。しかし、何度も危機を乗り越えたコンスタンチノープルはなかなか陥落しません。
そこでオスマン帝国軍は人海戦術を使って大艦隊を陸越えさせてコンスタンチノープルの中に入れるなど奇想天外の策略を使ってコンスタンティノープルを完全包囲。
その結果コンスタンチノープル内では大混乱。7千人しかいないビザンツ帝国軍がかなうはずもなく、最後には鍵をかけ忘れていたコンスタンチノープルの城門からオスマン帝国軍が雪崩れ込んだことによってコンスタンチノープルは陥落。最後の皇帝コンスタンティノス11世が戦死したことによって1000年以上続いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は滅亡することになりました。そして東ローマ帝国の首都であったコンスタンチノープルはオスマン帝国の首都へと変貌を遂げることになるのでした。
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オスマン帝国の首都として
メフメト2世によって陥落させられたコンスタンチノープル。この時代陥落させた都市では略奪が横行していたのですが、メフメト2世は略奪を行おうとしたもののこの街の敬意を忘れずにハギア・ソフィア大聖堂などをモスクにするなど最低限のことしか行いませんでした。
コンスタンティノープルはこの時イスタンブールと名付けられたのですがメフメト2世は直ちに街を復興するため病院、学校などといった必要な施設を整備。さらには古代ローマの水道を補修して商業施設も建設するなど都市のインフラを再興しました。
さらには貴族たちを強制的に移住させたり、イスラム教徒だけではなくユダヤ教徒や被征服者のキリスト教徒にズィンミーとして一定程度の人権を保障したりして人口増加を促して激減していた人口は一気に増加。イスタンブールは世界有数の大都市としてオスマン帝国の首都となっていったのです。
イスラム文化の中心地
コンスタンチノープル時代はギリシア文化が栄え、キリスト教の街として機能していましたが、オスマン朝はコンスタンチノープルをイスラーム文化の象徴に変化させていきます。
コンスタンチノープルにはモスクが急激に建造。隣接した学校や病院が設立されていき、公共施設が整備されていきました。
また、イスラム教の抑圧はあったものコンスタンチノープルには正教会の信者が多くいたこともあり、教会も残されることになりました。
そしてコンスタンチノープルが東西貿易の中心地ということはイスタンブールに代わっても変わることなく機能していき、ヨーロッパからやってきた商人などが交流を深める中心都市でもありました。こうしてイスタンブールは世界の大都市として機能していくことになるのです。
現代のイスタンブール
イスタンブールが大きく変わったのが1919年のこと。20世紀に突入するとオスマン帝国は一気に弱体化。第一次世界大戦で敗戦したことがきっかけでイスタンブールはイギリスやフランス、イタリアによるの占領されることになった。
1923年にローザンヌ条約によりイスタンブールの占領は終わりましたが、その裏で現在の首都であるアンカラのトルコ大国民議会でムスタファ・ケマル・アタテュルクはトルコ共和国の建国を宣言。オスマン帝国は滅亡することになりました。その後トルコでは新しい国を造るために首都をイスタンブールに変更。首都としての機能を失いました。
しかしながら文化的な大都市であるイスタンブールはここから大きな変化を経験していき現代的な都市に本坊を遂げることになります。
今ではイスタンブールは世界有数の都市として発展を続けているのです。
コンスタンティノープルの輝きは今でも
コンスタンティノープルはローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国の三つの帝国の首都として世界有数の都市として発展を遂げていきました。
現在でもトルコの重要な都市であるコンスタンティノープル(イスタンブール)は輝きを見せているのです。