その他の国の歴史中東

今も続く大問題「パレスチナ問題」って一体何?わかりやすく解説!

オスロ合意の締結

ぐちゃぐちゃになっていくパレスチナ情勢。イスラエルとアラブ諸国の対立は平行線のまま続いていくことになります。そんな中1987年にイスラエルの支配されていたパレスチナ人の不満がついに爆発。インティファーダと呼ばれる反占領闘争が広がりイスラエル国内でも占領に関する議論が起こりました。

世界情勢からしてもアラブ諸国とイスラエルとの戦争は好ましくありません。

そこで1993年にノルウェーの仲介によってイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長の間で「西岸及びガザで5年間のパレスチナ暫定自治を開始する」というオスロ合意がアメリカで調印されました。

これによってパレスチナのアラブ人の統治が認められることになり、ここから先パレスチナの東側のアラブ人自治が行われ始めることになります。

しかし、このオスロ合意はあくまでも暫定的なものであり根本的な解決とは言えないものでした。

さらに1996年にアラブ人との融和を唱えていたラビン首相が右翼によって暗殺。パレスチナの和平問題は大きく座礁することになるのです。

再び起こる対立の種

ラビン首相の暗殺後、再びユダヤ人とアラブ人の対立がひどくなっていくことになります。2000年にアラファト議長とイスラエルのバラク首相によって開催されたキャンプデービット会議で再び協議がなされて行きましたが、これは不調に終わり失敗。

さらにはイスラエルの右派の勢いが止まることはなく、

パレスチナで再び対立が巻き起こって行き、ついには第二次インティファーダが勃発することになりました。

イスラエルではパレスチナ自治区を完全にイスラエルのものにするために2002年4月にはパレスチナ自治区への武力攻撃が開始。国際的な非難を浴びることになるのですが、イスラエルの侵攻は苛烈を極め多数の非武装市民が犠牲になりました。

一方でパレスチナ自治区西岸地域では2002年から巨大な隔離壁の建設が開始。

これはパレスチナ自治区を大きな監獄状態にするためのもので隔離壁は1949年の停戦ラインを超えて建設されていくように。

もちろん国際的な非難が巻き上がることになるのですがイスラエルはお構いなし。壁の建設は続行されて西岸は取り囲まれて人々の移動が制限されてパレスチナ自治区はイスラエル軍に包囲された巨大な監獄状態となっているのです。

パレスチナ問題は終わらない

image by PIXTA / 11610206

パレスチナの問題は今も続いています。

国際社会ではパレスチナ自治区にもある程度の主権を国際的に認めるべきだとして2012年には国としての参加ではないものの、国連へのオブザーバー加盟が圧倒的多数で承認されていきパレスチナは一つの国家としての存在を認められることになりました。しかし、パレスチナの状況は大きく改善してはおらず、イスラエルの右派政権が握っている間は基本的には軍事行動を行なっていくようになります。

2014年にはイスラエル軍によるガザへの大規模な軍事侵攻が勃発。これにはイスラエル国内でも大きな非難を浴びており、いつかパレスチナ自治区との正式な国交樹立を目指す動きが少なからず現れ始めてはいますが、現状争いが終わることはありません。

一人一人がパレスチナのことを考えることがパレスチナ問題を変える糸口になるのかも知れせんね。

 

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