離れ離れになった劉備のもとへ戻る決断をする
曹操からの厚遇をありがたく思った関羽でしたが、心の中には離れ離れになってしまった劉備への忠誠心が消えることなく燃えていました。そのため、彼は主君のもとへ戻るチャンスを常にうかがっていたのです。
そして、関羽は決断を実行に移すことになりました。
曹操軍と袁紹軍の戦いに曹操方として参加した関羽は、敵将・顔良(がんりょう)を発見するやいなや、敵中に突入し、やすやすと首を取って帰ってきたのです。曹操は驚喜しましたが、関羽の性格をわかっていた彼は、きっと劉備のもとに帰ってしまうだろうと案じ、さらに恩賞を与えて引き留めようとしました。
関所を突破し、強敵を次々と斬り捨てる
しかし関羽は、曹操への恩返しは済んだとして、恩賞には手を付けず、曹操への感謝を手紙にしたため、馬を走らせて劉備のところへ走ったのです。三国志演義では、関羽が5つの関所を突破し、6人の将軍を次々と倒したというエピソードが加えられており、豪傑ぶりに拍車がかかっていますよ。その時彼が駆っていたのが、曹操が呂布(りょふ)から得て彼に譲った名馬・赤兎馬(せきとば)でした。
実際は、曹操は「後を追ってはならん」と部下に命じ、関羽は無事に劉備のもとに帰還できたのでした。
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主君・劉備の右腕として存在感を大いに発揮
劉備が諸葛亮(しょかつりょう)と出会い、優秀な参謀を得ると、陣営は一気に勢いづきます。孫権と連合して曹操を迎え撃った赤壁(せきへき)の戦いは大勝利に終わり、関羽は荊州の軍事総督となりました。劉備のそばで戦うことよりも、別行動を取って主を援護することが多くなる関羽ですが、それは劉備からの信頼の表れだったのです。
諸葛亮に嫉妬も…自尊心をくすぐられ、矛を収める
まだ居所の定まらない劉備は、荊州(けいしゅう/湖北省一帯)を治める実力者・劉表(りゅうひょう)を頼っていきます。ここで劉備は諸葛亮と出会い、何度もその草庵を訪れ、ついに彼を軍師として迎えることになりました。諸葛亮は、諸葛孔明(しょかつこうめい)の呼び名も有名ですね。この時の2人の出会いは「三顧の礼(さんこのれい)」という故事となっています。
劉備は諸葛亮を得ると、いつもそばに控えさせ、何かにつけて相談するようになりました。これまで軍師という存在がいなかった劉備陣営にとって、諸葛亮は得難い存在だったのですが、急に劉備の関心が諸葛亮だけに向けられるようになったことに、関羽と張飛は不満を持ちます。
すると、劉備は2人に対し、「自分と諸葛亮の関係は、水と魚のように切っても切れない関係なのだ」と諭し、納得させたのでした。諸葛亮も関羽を「ひげ殿」と敬意を込めて呼ぶようになり、関羽の心も収まったようです。
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逃げる曹操を見逃した?
荊州は要衝で、誰もが欲する重要な場所でした。そのため、劉表が亡くなると、曹操は荊州へと大軍を差し向けてきます。これに対し、劉備は孫権と同盟を結び、赤壁の戦いとなり、大勝利を収めました。
三国志演義では、退却する曹操の軍勢と関羽が出会うことになっています。曹操を討つまたとないチャンスでしたが、かつて曹操から追撃されなかった恩を感じていた関羽は、曹操を逃すのでした。三国志演義はところどころに関羽の「義」を示すエピソードが満載です。