孫権に惜しまれながらも斬首となる
孫権は関羽の武勇を惜しみ、なんとかして配下にしたいと思っていましたが、側近たちは「狼の子など養うことはできません。きっと必ず害となります!曹操はこやつを殺さなかったために、遷都まで考える羽目になったのですぞ」と反対したため、孫権は関羽を斬首したのでした。
その後、皇帝を称し蜀を建国した劉備ですが、関羽の死への報復のために兵を起こし、孫権との夷陵(いりょう)の戦いに臨みました。しかし結果は大敗。これによって蜀は大きな損害を受け、劉備自身も失意のあまり病に倒れることとなります。そして、蜀は衰退へと向かう中、諸葛亮が孤軍奮闘する状況となっていくのでした。
神となった関羽
関羽は、死後は「関帝(かんてい)」として祀られ、神となりました。中華街などには関帝廟(かんていびょう)がありますが、あれは関羽を祀ったものです。京劇も多く登場する関羽は、顔を赤く塗られています。これは忠義の証とされており、死してなお、彼はたくさんの人々から尊崇される存在なのです。