日本の歴史昭和

軍艦島(端島)をご存じ?長崎の海に浮かぶ歴史遺産を詳しく解説!

閉山から産業遺産・観光資源へ

軍艦島の最盛期は1960年(昭和35年)だったといわれています。人々は狭いながらも豊かで満ち足りた生活を送っていました。

しかしこれを過ぎると、炭鉱は少しずつ下向きになっていきます。世界の主要エネルギーが、石炭から石油へとシフトし始めたことが主な要因です。

国の政策の影響もあり、1974年、三菱は端島炭鉱を閉山します。それから3か月ほどの間に、島民たちは全員、島を離れ、軍艦島はあっという間に無人島になってしまったのです。

残されたのは、まるで歴史ミステリーのような、空っぽになった町。閉山後も軍艦島自体は三菱の所有地だったため、部外者は近づくこともできず、いつしか忘れられた存在に。建物の倒壊などの恐れがあるため、閉山から30年近くの間、島内への立ち入りは固く禁じられていました。

2000年代に入ってから、軍艦島は三菱から長崎に(高島町)譲渡。調査や報道など限られた関係者に上陸許可が下りるようになるなど、少しずつ門戸が開かれていきます。2009年には、特定の見学通路のみ、一般の観光客による見学が許されるようになり、軍艦島は廃墟ファンに人気スポットとなっていきました。

2015年、高島炭鉱や三池炭鉱(福岡県)、八幡製鉄所や長崎造船所などとともに世界遺産に登録。日本の産業発展の象徴として、歴史を後世に伝える役割を担っています。

洋上に浮かぶ姿はまさに要塞!軍艦島は今、何を物語るのか

image by PIXTA / 44317349

さえぎる物が何もない海の上に突然現れる軍艦島。船で少しずつ近づいていく瞬間、何とも言えない高揚感に襲われます。昭和から平成、そして令和へ。時代が変わり、炭鉱としてにぎわっていた頃のことを語る人は少なくなってしまったようですが、軍艦島は洋上に巨体を浮かべたまま。訪れる人に何かを語りかけているようです。

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