幕末日本の歴史明治明治維新江戸時代

外国通として活躍し維新の元勲に上り詰めた「井上馨」の生涯を元予備校講師がわかりやすく解説

井上の価値観を大きく変えたヨーロッパ留学

1863年、長州藩は清国を経由してヨーロッパに5人の藩士を派遣しました。イギリス側で長州藩の藩士派遣を支援したのはマセソン商会のケズウィックや長崎の武器商人であるグラバーです。

派遣されたのは井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊東俊輔(のちの伊藤博文)の5人。1863年5月18日、一行はイギリスが東アジアで拠点としていた上海に到着します。そこで彼らが目にしたのは100隻以上の蒸気船と欧米人が作り上げた先進的な街並みでした。

11月4日、イギリスに到着した5人はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに聴講生の資格で留学します。留学からおよそ半年後の1864年4月、井上らは長州藩が下関で外国船を砲撃したことを知り、井上と伊藤は急ぎ帰国しました。

外国から帰国し、視野を広げた井上は幕末動乱でも活躍

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下関での砲撃事件を聞き、急ぎ帰国した井上たちは長州藩に譲位を止めさせようとしましたが藩論を転換させることはできません。下関戦争で長州藩が敗退したのち、井上たちはイギリスなど連合国と交渉します。その後、井上は高杉晋作に従い長州藩の改革に参加。幕府による長州征伐の危機も乗り越えました。動乱の幕末を駆け抜けた井上の姿に注目しましょう。

下関戦争の講和交渉

イギリスから急ぎ帰国した井上と伊藤は6月10日に日本に帰国します。横浜に到着した二人はイギリス公使オールコックと面会しました。二人はオールコックに、長州藩に戻って藩論を一変させたいと願い、オールコックはアメリカ・フランス・オランダの公使と協議し、二人の希望を認めます。

長州藩にもどった井上と伊藤は藩主毛利敬親に海外情勢を説明し、無謀な攘夷を止めるよう説得しました。敬親は、藩論転換は困難だと語ります。それならばと、井上たちは御前会議の開催を願いました。しかし、藩論を変えることができず下関戦争がはじまってしまいます。

1864年、イギリスなど四カ国連合艦隊は下関の長州藩砲台を攻撃し占拠。長州藩に賠償金支払いを要求しました。井上は、講和交渉の使節の一員として交渉に臨みます。井上らは、砲撃は朝廷や幕府の方針に従っただけだといい、賠償金を幕府に転嫁することに成功しました。

藩論対立で重傷を負う井上。高杉の功山寺決起に賛同し討幕を目指す

下関戦争後、幕府は第一次長州征討を開始しました。存亡の淵に立たされた長州藩では、幕府に従うべきだとする俗論派の力が強まります。井上は武備恭順を説き、幕府の要求を丸呑みしないよう主張しました。しかし、井上は暴徒に襲われ重傷を負わされます。

その後、権力を握った俗論派は幕府側が出した責任者の処罰を受け入れ、三家老の切腹や山口城の破却などに応じ、幕府に恭順しました。高杉晋作は福岡藩に逃れます。

1864年12月15日、高杉は下関に戻り、伊藤博文力士隊や石川小五郎の遊撃隊を率いて功山寺で決起しました。高杉の決起に、高杉が創設した山県有朋率いる奇兵隊も同調。諸隊を率いた高杉は俗論派を排除し、再び藩論を討幕へと引き戻しました。

長崎の外国人商人、グラバーとの交渉

高杉が実権を握った長州藩にとって大きな課題は、幕府が再び攻めてきたときに対抗できるだけの武力を手に入れることでした。最新鋭の武器は、長崎の武器商人グラバーが扱っています。長州藩はグラバーから武器を購入するため、井上にグラバーとの交渉を命じました

グラバーはもともと、上海にあったイギリスの商社、マセソン商会の社員でした。1859年、グラバーはマセソン商会の長崎代理店であるグラバー紹介を設立します。グラバーは日本産生糸や茶の輸出で利益を上げました。

日本情勢を詳しく分析したグラバーは日本の政治的混乱に着目。討幕・佐幕(幕府を支えようという考え方)を問わず、武器を欲しがる藩に武器・弾薬を販売することで大きな利益を上げました。井上がグラバーから購入した武器は、幕府と戦うときに大きな力となります。

幕府軍と長州藩が戦った四境戦争

功山寺決起で権力を握った高杉晋作らは、藩の考えを幕府に従う恭順から幕府と戦う倒幕へと転換させました。幕府は、第一次長州征討で約束した恭順が守られていないとして、第二次長州征討を準備します。

1866年、幕府は15万もの大軍を動員し、長州藩に攻め込みました。第二次長州征討の始まりです。長州藩の兵力はわずかに7千。数の上では圧倒的に劣勢です。長州藩は兵力を4方面に分け、それぞれの場所で幕府を迎え撃ちました。四つの境で戦われた戦争なので、四境戦争ともいいますよ。

井上馨は長州藩諸隊のうち鴻城隊の総督となっていました。鴻城隊は広島方面からの敵を防ぐ芸州口に配置されます。四か所とも、長州藩軍が幕府軍に対して優勢に戦い、長州を守りきりました。

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