日本の歴史昭和

日本とアメリカの関係性を決定づけた「日米安保条約」を元予備校講師がわかりやすく解説

日米安保条約の問題点

1951年に結ばれた安保条約(旧安保条約)はいくつかの問題点を含んでいました。問題点は大きく二つに絞ることができます。

一つ目の問題点は、旧安保条約にはアメリカ軍の日本防衛義務がないことです。旧安保条約において、アメリカ軍は日本に基地を置き駐留することや第三国が日本に基地を置くことは認めないと定めました。しかし、アメリカ軍の駐留目的は、あくまでも極東の平和と安全の位置であり、日本の防衛ではありません。

二つ目の問題点は、旧安保条約に日本で内乱が起きた場合に鎮圧出動できるという規定があることでした。この条文がある限り、アメリカはいつでも日本国内の政治に干渉(内政干渉)することが可能であり、いざとなれば日本を再度軍事占領することも可能となってしまいます。

安保条約の改定

旧安保条約を改訂し、日本とアメリカの関係をより対等に近づけようと考えたのが岸信介でした。岸信介は戦前から大臣を歴任。敗戦と同時に、A級戦犯として巣鴨拘置所に拘置されました。開戦を決定した1941年の会議に不参加だったことや東条英機に即時講和を求めたことなどが評価され、不起訴のまま無罪・釈放されます。

1957年、前首相の石橋湛山が病死したことを受け、岸信介が首相に指名されました。岸は安保条約を改訂し、日本とアメリカの立場をより対等にしようと考えます。当初、アメリカは岸の安保改定案に否定的でした。しかし、岸が日米協力による日本の安全保障の確保日本の防衛力強化などをアメリカに約束することでアメリカの懸念は和らぎます。

1960年、日本とアメリカは新日米安保条約を締結しました。有効期限が10であること、アメリカに日本防衛義務があることなどが明記されます。内乱介入の条項もなくなりました。

60年安保闘争

安保条約改定の動きが明るみに出ると、社会党や共産党、労働組合、学生、市民運動家らが新安保条約に猛反対します。彼らが反対した理由は、新安保条約もアメリカ従属の軍事同盟であることや米軍基地が強化されることに対する懸念があったからでした。

戦争が終結してから、まだ15年しかたっていないこともあり、国民の中には新安保条約を結ぶことで日本がアメリカの戦争に巻き込まれるのではないかという不安があったのでしょう。新安保条約に反対する60年安保闘争は、軍事同盟反対の国民運動に発展しました。

岸信介は衆議院に警官隊をひきいれ、新安保条約を強行採決します。新安保条約が衆議院を通過したことで、30日後の新安保条約の批准が確定しました。1960年6月23日、岸信介は条約発効を見届けたうえで、内閣総辞職を表明します。

日米安保条約の問題点

image by PIXTA / 11857939

1960年に結ばれた日米安保条約は、10年ごとに改訂され2020年段階でも破棄されることなく継続しています。その一方、基地が沖縄県に集中していることや、垂直離着陸機であるオスプレイの運用をめぐる問題。在日米軍兵士が引き起こす犯罪行為など、日米安保条約の負の遺産も無視できません。冷戦が終結し、日米安保条約の意義も変わっている中、21世紀に日米関係を考え直してもよいかもしれませんね。

1 2 3
Share: