盤古、神農、黄帝、日本ではマイナーな「中国神話」の神々を元予備校講師がわかりやすく解説
仁知に優れた伝説の帝王堯(ぎょう)
『史記』の中で、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と絶賛されたのが堯です。堯にまつわる二つの話があります。
一つは、10個の太陽の話。昔、天帝の子に火烏がいました。火烏は10人兄弟で、交替で地上を照らしています。ところが、あるとき、10羽の火烏がいっぺんに地上に現れてしまいました。地上は10の太陽によって焼き尽くされ、灼熱地獄となります。
困り果てた堯は弓の名人である羿(げい)に何とかするよう頼みました。はじめは、脅かすことでいっぺんに出てこないようにさせましたが失敗。仕方なく、一羽をのぞいて全て射落としました。
もう一つの話は、鼓腹撃壌。堯の時代が数十年続き、世の中は平和でした。堯は本当に平和か不安になり、確かめるため外へ。すると、ある老人が腹を叩きながら楽し気に「自分は毎日安心して生活している。皇帝の力なんか俺には関係ない」などと放言していました。それをみて、ようやっと堯は安心したといいます。
堯から禅譲で天子の位を受け継いだ聖天子舜(しゅん)
『史記』に、「天下の徳は虞帝(舜)より始まる」と書かれたのが聖天子として知られる舜です。舜は黄帝の孫である顓頊(せんぎょく)の子孫。しかし、舜の家はとっくの昔に皇帝一族から外され、一般庶民として暮らしていました。
舜の母親は、舜が幼い時に亡くなります。父は再婚しました。舜の継母は、自分の連れ子をあとつぎにしたいと考え、舜に厳しく当たります。父も連れ子をあとつぎにしたいと考えたので舜につらく当たりました。舜は、そんなことにめげず、父に孝を尽くしました。こうした姿勢は、のちの儒教(儒家・孔子が始める)で高く評価され、堯とともに聖人とされます。
舜の評判を聞いた堯は、二人の娘を舜と結婚させました。舜が噂通りの孝行息子か調べるためです。二人の娘は舜の良い心に感化され、非常に篤実になりました。それもあって、舜の周りには多くの人が集まります。
父親や継母たちが舜を殺そうとしても、舜に態度は変わりません。これを聞いた堯は、舜に政治を行わせました。舜の徳に恐れをなした悪い心を持つ大臣は朝廷からいなくなります。これをみて、堯は舜に位を譲りました(禅譲)。
黄河を治め、伝説の夏王朝を創設した禹(う)
長きにわたって平和に国を治めた堯ですが、大きな悩みを抱えていました。それは、黄河の氾濫です。荒れ狂う黄河の治水を担当したのが鯀(こん)でした。鯀は治水事業を9年にわたって行いましたが失敗します。
舜は、鯀の事業を息子の禹に引き継がせました。禹はそれまでの工事方法を見直し、導や疏という放水路をつくることで、黄河の水があふれないようにします。禹は13年かけて黄河の治水を成し遂げ、灌漑設備を整え、農業生産力をアップさせました。
舜は、黄河の治水に成功した禹を高く評価します。のちに、「黄河を制する者は、中国を制する」とまで言われるほどの暴れ川を治めた禹は、皇帝としての資格十分と考えられました。舜は禹に帝の位を禅譲します。禅譲を受けた禹は、夏王朝の創始者となりました。
始皇帝が名乗った「皇帝」の称号は、神話時代の三皇五帝から命名された
紀元前221年、秦王政は諸国を滅ぼし中国を統一しました。政は、中国を統一した自分が名乗るのにふさわしい称号として「皇帝」を自称します。皇は、三皇とよばれた伏羲・神農・女媧に、帝は、五帝とよばれた堯・舜などに由来しました。始皇帝は中国を統一した自分は三皇五帝よりも上だと考えたのでしょうね。